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移民俳句とHaicaiの違い

 ある文芸関係者が「日本語俳句がなくなってもいいじゃないですか。増田恆河さんが広めたポ語Haicai(俳諧)がブラジル人に広がっているから」と言っていたのを聞き、どこか違う気がした。「形が残ればいい」という問題ではなく、文芸作品に大事なのは、そこに託されている〃想い〃ではないかと▼当地における日本語作品の意義は、異国で生涯を終える者だからこその諦観や、移り住んだ者のサガ、遠く離れたがゆえの祖国への熱い想い、異文化の中で送る人生の様々な出来事が織込まれているから、日本の作品とは異なる移民文学独自の深みが生まれる▼ポ語作品は主に、日本の文学形式の器を借りて、この地に生を受けた側から当地の折々の出来事を詠い込む発想が中心だろう。形はHaicaiでも内容的には「ジャンルが違う」ほどの差があるのではないか▼今の日系社会に大事なのは、営々と日本語世界(一世)で語られて来た〃精神〃をどうポ語世界(二、三世)に乗り移らせるか―という方法論ではないか。邦字紙も二、三世向けポ語新聞を作ろうとしてきたが、成功といえる段階にはない▼日本語編集部は08年以来、日ポ両語の書籍を出し、今年はついにポ語のみの『Alian軋』を出版した。これは、邦字紙として営々と積み上げて来た移民の歴史や精神という成果を、ポ語世代に乗り移らせるための取り組みだ▼同様に「日系団体が生き残っているからいい」ということでなく、日系団体が培ってきた〃精神〃まで残せたらもっと良い。そのために各地の記念誌をポ語翻訳にする取り組みがもっと必要だし、ポ語の移民史が出たら子孫にぜひ贈ってほしい。(深)