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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=72

 五十年前、移民船は蚕棚式の船室で、五十数日の船旅をしてブラジルにきた第一回目の十二人の花嫁で今年金婚式を迎えられたのは五組。二十歳前後で移住した花嫁も二人他界したとのことである。
 金婚式の花嫁はもうみんな七十歳代に入っているが、それでも厳しい移住生活にたえ生き抜き恵まれた老後のいま、力強い確りした声で挨拶をした。

 花嫁を代表してあいさつをしたカンピーナス市在住の芦川道子さん(七十三歳、静岡県出身)は「天皇、皇后両陛下の歴史的な御成婚で日本中がおおさわぎのとき、ういういしい若妻になることを夢にやってきました」と往時をふりかえり
 「この五十年の記念日を生涯わすれません。夫の亡きあともコチア青年仲間のふかい情愛をもって交際をしてくださり感謝いっぱいです」と述べた。
 またスザノ市在住の木野順子さん七十三歳、山形県出身は文通をへて渡伯し、「月月火火水水木金と働きましたよ、でも苦労なんて忘れました」とみんなと出会えた記念式のこの日をはしゃぎ仲間とのひと時を楽しんでいた。
 夫たるコチア青年代表者からは、「鞄一つで移住しジャポン・ノーボといわれたコチア青年に来てくれた花嫁さんは、大きな希望をあたえてくれた」と当時を懐かしんだ。

 二〇一〇年三月二十七日のニッケイ新聞に、バングランデ在住のコチア青年花嫁婦人会会長、黒木美佐子が印象深い投稿文を新聞に出しており、ここに写させていただくことにする。
 「二〇〇九年は私たちにとってたいへん充実した忙しく目出度く幸せな一年でした。花嫁として着伯した五十周年記念、アルゼンチナ丸初の同船者会、四人の子供とその連れ合い、孫たちからの金婚式のプレゼントなど忙しいずくめでしたが、そのなかで何より胸に沁みたのは、第一回コチア青年移民である夫からの、一枚の感謝状でした。それは一枚の紙切れではありますが、これまで五十年の汗と涙が一変にダイヤモンドにかわり輝きました。そして何かと忙しい主人が自分なりに他のコチア青年とも話し合い、花嫁さんたちに、喜んでもらえる事はないかと考えていたようで、コチア青年同士二十名の夫婦たちと共に、二月二十日から二十七日まで豪華客船のベランダ付スイートルームで一週間の最高の旅を計画してくれたのです。
 それはまさに豪華客船タイタニック号の再現で、晩餐会、テアトロ、ダンスホール、カジノ、生音楽のアルゼンチン、ウルグアイのタンゴ、毛皮の買い物、贅沢そのもの旅でした。でも船尾に行って見る航跡の白い波は、五十年前写真で知るのみのまだ見ぬ夫のもとへ、未来に思いをめぐらせて四十三日間ながめた、あの波と同じ白さでした」と結んであった。
 文章の最後の一行が、ブラジル丸の航跡を知るゆえに、私はじーんとさせられた。また後日「花嫁移民おめでとう」の見出しで、
 「見ず知らずの人の写真一枚で地球の裏側まで来たのだから凄いと思いました。その勇気と決心に感心させられました。こんなことは日本人だけにあることで、外国では聞かれないことではないでしょうか。子供が生れ、いつしか根が生えたように逞しくなって、肝っ玉おばさんとなり、カマラーダ(農場の使用人)を顎で使うようになった」母として、主婦として本当に偉い女性がいたものと感動しました。花嫁移住の皆さまあなた達は救いの女神」と書いた一文章がニッケイ新聞にでたことを付け加えておきたい。