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「自分の死亡診断」を聞く可能性

 戦後移民の代表格コチア青年の平均年齢も今では79歳――身近な人の死に目に会う機会は少なくない。週刊新潮11月27日号の「臨終読本」5頁特集で、いまわの際に家族が後悔しないよう専門医の提言が掲載された▼いわく《終末期の患者さんも、反応ができないだけで耳は聞こえている可能性があります。ですから〃死が近いですかね〃とか、〃葬式の準備をした方が良いですか〃といった会話を患者さんの傍らですると、聞こえている可能性があるわけで、注意すべきです》▼何の反応もない昏睡状態、瞳孔の収縮反応がない瀕死の状態でも、実は患者に聞こえている…。その状態から奇跡的に回復した人から「こんなことを言っていましたね」と指摘された医師の体験談が紹介されていた。というのも耳と脳の機能が失われるのは最後の最後だからだ▼①瞳孔拡大と対光反射消失、②呼吸停止、③心臓停止の三兆候を満たした時点で「死亡診断」が下されるが、これは《あくまで法律上の便宜的な区切りでしかない。実際は心停止後、全身の細胞がゆっくり死んでいくわけです》と説明する▼《三兆候を満たしたからといって、全てが死んでいるわけではありません。まだ外の音が聞こえている可能性もないとは言えない》とし《死亡診断が下されたからといって、声を掛けたり、身体をさすってあげることは、決して無意味ではない》と薦める。つまり「自分の死亡診断」を聞いている可能性がある▼死亡診断後に〃死者〃の良くないことを言ったからといって、何が起きる訳ではない。死者へのレスペイト(敬意)の意味で重要だし、自分が逝く側だと想像するとゾッとする。(深)