「気配というものを感じないのだろうか?」。スーペルメルカドで通路を占領してのおしゃべりに夢中で、真後ろに人がいるのに全く気が付かないおばさん。仕事に対する熱意の問題かも知れないが、結構ちゃんとしたレストランでも、ギャルソンが何人もいるのに、こちらが手を上げても気付かない。気を張ってないのか、集中力があるのか▼人様に迷惑はかけない、お客様の一挙手一投足に注視するという日本社会ではあまりない。一方、子供に対する気遣いや、初対面の人への気配りはビックリするほどあったりする。ある程度の国民性はあるだろうが、まあ人それぞれだ。で、最近の文協である▼19日付けの本紙でも報じたように、公演一カ月前になって会場変更を通達されてはたまらない。慣れ親しんだ舞台と特設のものでは踊る勝手が大分違う。「もっと早く言ってくれれば」との公演者に、事務局の言い分は「変更する可能性は伝えていた」。お役所的というか、半世紀以上の付き合いのある団体との関係とは思えない▼文協図書館への寄贈者に受領書も礼状もなかったという話(サ紙13日付け)もだ。同紙に『図書便り』寄稿している委員会の代表も「職員の問題」と答えたという。日本語の問題がある職員の代わりに礼状を書くのは『図書便り』を書くより簡単だと思うが。気がつかないのか、利かないのか▼新聞に出ないまでも、これに近い話はよく聞く。文協はそうした声にも耳に入らないのか気にもしていないようだ。今日付け7面の記事でも、お得意の「委員会立ち上げ」「経営、交流、文化の強化」が見える。文協離れも納得がいく。(剛)