「最初はアルバイトのつもりだった。初出勤したら電話で僕を雇った編集長が亡くなってた。で、僕に白羽の矢が立ったわけ」。つまり、半世紀以上編集長を務めたわけだから、ギネスものではなかろうか。昨年11月に89歳で亡くなったアルゼンチンの邦字紙「らぷらた報知」の高木一臣主幹の入社時のエピソードだ(本日付け7面で訃報)▼コラム子が取材した2003年当時、78歳だったわけだが、そのエネルギッシュさには気圧される思いだった。ブエノスアイレスはラバージェ通りのアサード屋。話題も豊富で話上手とはいえ、6時間の問わず語り。隻眼で胃も腎臓も取っているというのに、ずっと肉を食べ続けていたのだから、その健啖ぶりに迫力さえ覚えた▼ラジオの日本語アナウンサーを務め、俳優としても知られ、加えて編集長と三足のわらじを履いていた。プライベートも拓大出身のバンカラ気質に溢れ、強盗に早代わりしたタクシー運転手を締め落としたというのだから恐れ入る▼亡くなる1カ月前まで、翻訳記事と社説「展望台」を書き続けた。12年前は2千部だったという同紙だが、現在は半減した。ブラジル同様、購読者も減っているのは当然とはいえ、今後の問題は編集体制だろう。編集長だった崎原朝一さんも、そのわずか6日前に80歳で亡くなった。現在、同紙は週2回発行を続けるが、日本人スタッフはわずか1人だという▼紙面はまだまだ日本語中心。対岸の火事とはどうしても思えない。創刊も本紙の前身パウリスタ新聞と同年だ。お隣コロニアの名物新聞人の冥福を祈るとともに、同紙の発行継続を祈りたい。(剛)