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民主政治復活から30年=軍政最後の大統領選振り返る=その裏側で動いたものは?

 1月15日で、ブラジルが21年続いた軍事政権を終え、民主政治に復帰して30年が経過した。15日付フォーリャ紙が、30年前の1985年1月15日にどのような形で民主政治が復活したかを報じている。
 軍事政権終焉の兆しは1982年の統一選の時からあった。国家革新同盟(ARENA)を前身とする軍政支持政党の社会民主党(PDS)は、479議席だった下院選で過半数割れの235議席に終わり、野党の民主運動党(PMDB)との差が35に縮んだ。議会全体では与党356対野党330だった。
 83~84年には国民の間で大統領の直接選挙を求める声が広がり、全国各地で「ジレッタス・ジャー」運動が展開されたが、84年4月の議会投票で国民投票による大統領選挙案は否決され、軍政時代の慣例通り、次の大統領は議会投票で選ばれることになった。
 野党側の大統領候補は74年の大統領選にも出馬したPMDB党首のウリセス・ギマランエス氏が予想されたが、同氏がこれを辞退したため、ミナス・ジェライス州知事で軍政前の民主政最後の首相職を務めていたタンクレード・ネーヴェス氏に白羽の矢が立った。
 一方、PDSは、結果的に軍政最後の大統領となったジョアン・フィゲイレード大統領(1982~85年)の副大統領だったアウレリアーノ・シャヴェス氏や、同大統領時代の閣僚のマリオ・アンデレアッサ氏が有力視されたが、党内の選挙キャンペーンを有利に進めたのはサンパウロ市市長やサンパウロ州知事を歴任したパウロ・マルフ氏で、党内の4割の支持を得ていた。
 だが、この結果を不満とし、PDS党内は割れた。アウレリアーノ氏支持だったPDS党首のジョゼ・サルネイ氏は、84年7月3日、アウレリアーノ派45人の議員と共にPDSを離党、7月13日に副大統領の席と交換にタンクレード氏支持を発表した。
 一方のマルフ氏は8月11日に正式にPDSの大統領候補となったが、これを不服とする同党員が集団でタンクレード氏支持に回った。マルフ氏は元PDS党員の投票の無効を高等選挙裁判所に訴えたが、棄却された。
 議会での大統領選は85年1月15日に行われ、タンクレード氏が480票対180票でマルフ氏を破ったことで、64年4月に始まった軍事政権は幕を閉じた。
 タンクレード氏は3月15日着任の予定だったが、前日の14日に病で倒れ、4月21日に帰らぬ人となった。その結果、民政復帰後初の大統領には、副大統領だったサルネイ氏が昇格した。
 大統領選挙はその後、1988年10月制定の新憲法により、国民の義務による直接投票となり、現在に至っている。