あれから20年―。時の過ぎ行く早さと同時に、記憶の生々しさにも驚く。倒壊する高速道路などテレビに映し出される映像も容易に思い出せるし、スーパーなどから商品が無くなったのも印象に残っている。今日17日、阪神淡路大震災で亡くなった6434人の犠牲者を悼む追悼法要が日本各地で開かれている▼当時の新聞をめくってみると、日伯間の電話回線がパンクし、デカセギや留学生の安否を気遣う家族のコメントが続く。そして翌日、翌々日と日系人被害者のニュースが増えてくる。ブラジル政府が用意した専用機での帰国者を迎える家族や報道陣でごった返す空港。インターネットがなかったコロニアの動揺ぶりが見てとれる▼やはりそうか、という感を強くしたのはコロニア団体の義捐金活動の遅さ。3日後の20日に「募金を始め、窓口を作りましょう」という悠長さが非難の的にもなっている。とはいえ、訪日用に貯めていた費用を送る人など全伯から続々と義捐金が寄せられ、1カ月半で50万レアルが集まった▼兵庫県と姉妹州県を結ぶパラナ州では義捐金活動のほかに、州民による折り鶴6万羽が贈られた。おりしも提携25周年で県知事のブラジル訪問がキャンセルに。今年の45周年では記念式典などが開かれる。当時を振り返り、友好関係を確かめてほしい▼災害復興公営住宅では、孤独死した高齢者がこの20年で1千人を超えた。あの日をひと時も忘れることはなかっただろう。家族を失った日系家庭でも同様だ。兵庫県人会は本日午前10時から、宮城県人会で追悼法要を開く。コロニアもまだ忘れてはいない。(剛)