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パナマを越えて=本間剛夫=20

 これらの日本漁船は決まった基地はあるが、魚群を求めて北部ブラジルからギアナ、ヴェネズエラ海岸を含む大アンチル列島を曳游(えいゆう)しながら獲物を母船運ぶか、最寄の港で処分する極めて自由な海の放浪を続けるものだったから、一度日本を出ると交替が来るまでは、一年、二年と故郷の土を踏むことが出来ない。
 ところで、コーチはどこから来たのだろう。プラタ川の上流は海岸から、それほど深く入っていない。海岸山脈の無数野山壁から湧き出るせせらぎを集めて流れとなったプラタ川である。あるいは彼は山脈を越えてアル高地を横切り、奥地に入っていたのだろうか。
 何のために……?
 食事を済ませて再び甲板に出ると、先ほどの兵たちが、前と同じ位置に立っていた。私は事務室と船長室の中が見えるだろうかと、その前を通ってみた。二つの室とも人のいる気配がなかったので、そのままもとの方へ歩いた。先より暑くなった太陽が光と影を明らかに区切り、碧く深い空と周囲の原始林の緑と対照して、そこに米兵がいなければ原始の世界に住んでいるように感じさせた。それは同時にシナ大陸の戦争も運河の爆破を恐れる警備隊の活動も現実なのだ。この夢の世界と現実は何と矛盾に満ちていることか。これが賢明な筈の人間と言う生物の宿命なのだろうか。いや、虫けら同様の愚かな人間ども……。
 ブルワークに凭(もた)れて、そんな思いに浸っているとボーイが来て、船長が呼んでいるという。
 船長室に入ると、二人の将校が船長と話していた。パーサーは船長の隣で書類をめくっていた。船長は私に椅子にかけるように眼くばせした。私は将校たちと向かい合った。二人とも私と同年くらいに見えたが、階級章は中尉だ。
「君はブラジルの学生だね」
 私はうっかり迂闊(うかつ)なことをしゃべってはいけないと自分に言いきかせた。
「はい、そうです」
「失礼なことを質ねるかも知れないが、正直に答えて」と一人が言った。
「専攻は?」
「農業経済です。学習時間は多いのですが、銀行でアルバイトもしています」
 すると、ぼくたちも学生だよ、とほほえんだ。この調子なら、気軽に対応できると安心した。
「日本へ勉強に行くんだね。なぜ、日本を選んだの?」
「アルバイト先きの店長が日系ブラジル人で勧めたからです」
「ほう、店長が日系人ですか。よほど優秀なんだね」
「自発的にブラジルへ来たそうです。永住のつもりで……」
「そうですか。旅券を見せて下さい」
 一人が私の旅券を見ながら云った。
「滞在一カ年では短いね」
「一年延期できます」
 そこで、彼は私の顔を覗くようにして
「もし、その間に、米日戦が起きたらどうするの?」と質ねるので、私は
「その時は、早速、逃げ帰ります」
 と答えてわざと大げさに両手を拡げた。
「そんなこと、なけりゃいいね」
 その口調は、私に対する皮肉とも聞こえて一瞬、ひやりとしたが、戦争になって困るのはお互いさまだ。
「戦争は、ヒトラーに任せましょう」
 そこで三人して笑った。