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第14回 ブラジル文化の根っこ

 ブラジルの有力紙エスタド・デ・サンパウロ紙が2015年1月4日に創刊140周年を迎え、関連の特集を連日組んでいる。1875年の創刊だが、日本の読売新聞が1874年、朝日新聞が1879年創刊なので、ほぼ同時期にスタートをしていることになる。その特集の中に、エスタド紙の歴史と、その時代に世界及びブラジルで起こった出来事を記した年表があった。70ページ以上の分厚い大企画である。年表の中で日本について触れられているところを一生懸命に探したが、残念ながら1908年に笠戸丸で日本からの最初の移民がサントス港についたことと、2011年の東北の震災が記されているのみであった。中国は毛沢東が、アメリカは歴代の中で著名な大統領が表記されているが、日本については誰も何も他は出てこない。確かに距離的にも遠いが、政治・文化レベルでもお互いの交流・影響力はこの140年間はあまり大きくなかったということであろうか。今年は日本とブラジルの外交樹立120周年であるが、両国の今後を考えさせられる企画であった。
 同時に様々な企業が祝140周年の広告を新聞社とタイアップで色々と工夫して出していて面白かった。しかし、そこにも残念ながら日本企業は入っていなかった。三菱自動車が唯一広告は出していたが、タイアップではなく、お祝いのメッセージもない普通の広告であった。ヒュンダイグループのKIAは、タイアップでオールドファッションな車の写真とともにお祝い広告を出していた。そもそも出稿企業44社中8割がブラジル企業で、アメリカ企業、ヨーロッパ企業が各3社ずつしか入っていないので、無理もないかもしれない。   
 元来ブラジルはポルトガルの植民地であったことから、ヨーロッパからの移民が中心であり、カトリックの国である。先日のフランスの風刺画新聞へのテロの時は、ニュースチャンネルはずっとそればかりを報道していた。各国首脳が反テロでパリに集結した時も、延々生放送で流していた。また、一昨年のローマ法王の来伯時には国が何百億円単位の関連予算を組んでいる。ちょっと日本では考えられないことである。ブラジルで日本の文化や日本人に対する評価は高いが、あくまで外側だけであり、根っこはヨーロッパなのだろう。
 また、ブラジルに視察に来る人で、サンパウロだけ見て、日系人や日本食レストランの多さに驚いて、ブラジル中がそうなっているように錯覚してしまう人もいるが、リオデジャネイロに行くだけでその幻想は打ち砕かれる。リオでは日系人になかなか会わない。逆にブラジルには、そういう都市の方が多い。先日もブラジルの若者と話をしていたら、ソニーって韓国の会社でしょ?と言われて絶句したが、これもブラジルでは電子機器=韓国というイメージが出来上がりつつあると言うことだろう。
 ジャパンハウスにしても、日本企業にしても、ブラジルでのマーケティングは、この現実からスタートして考えなければならない。

[su_service title=”輿石信男 Nobuo Koshiishi” icon=”icon: pencil” icon_color=”#2980B9″ size=”28″] 株式会社クォンタム 代表取締役。株式会社クォンタムは1991年より20年以上にわたり、日本・ブラジル間のマーケティングおよびビジネスコンサルティングを手掛ける。市場調査、フィージビリティスタディ、進出戦略・事業計画の策定から、現地代理店開拓、会社設立、販促活動、工場用地選定、工場建設・立ち上げ、各種認証取得支援まで、現地に密着したコンサルテーションには定評がある。  2011年からはJTBコーポレートセールスと組んでブラジルビジネス情報センター(BRABIC)を立ち上げ、ブラジルに関する正確な情報提供と中小企業、自治体向けによりきめ細かい進出支援を行なっている。14年からはリオ五輪を視野にリオデジャネイロ事務所を開設。2大市場の営業代行からイベント企画、リオ五輪の各種サポートも行う。本社を東京に置き、ブラジル(サンパウロ、リオ)と中国(大連)に現地法人を有する。[/su_service]