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パナマを越えて=本間剛夫=21

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 日光丸は給油を終えて第一閘門に入った。うしろの閘門が閉じると、両壁に貼りついている無数の鉄パイプから注ぎ込まれる水とガツン湖から引かれた噴水式ポンプの水が噴き出て、見る間に第一と第二の閘門の水面が一致する。すると第二閘門と次の閘門の扉が開いて日光丸はその中に入る。
 二光丸が進むのは、両岸を進む小型電車のようなトロッコにつながるロープに引かれる仕組みになっているからで、第三の閘門も同じ要領で日光丸はガツン湖に入ると、うしろの第三閘門の扉が閉じる。
 急に眺望が展けた。無数の鳩の群れが飛び交い、水鳥が湖面で遊び、大小のヨットが滑り、湖畔の林の間から緑の屋根に白壁の数軒の瀟洒な平屋の家屋が見え、それが湖面に映えて、派手な海水着をつけた若い男女が泳いでいる風景は、正に現世の最高のパラダイスだ。
 日光丸は警備隊を乗せたまま時速八ノットで湖面に航跡を描いて約五時間で太平洋側の水門に着いた。湖の方から数えると、第三、第二、第一の閘門は下りになる。第三閘門の水を吸い上げ、第二閘門の水面と一致させたとき、第三閘門の扉が開いて、船が最初の水門を過ぎる。それを二回繰り返すと、バルボアを出ると、そのままの速度で十分ほど航行したところで停まった。
 するとそこへ艀が近づいて来るのが見えた。近ずくと、艀には野菜や果物が積んであって、そこへ日光丸の船員たちが大きな籠を下げると、男たちがピーマン、きうり、オレンジなどを入れる。それを受け取った船員たちは代金を入れて下げる。すると艀はポンポンと景気のいい音をたて、煙の輪を吹き上げながら引き上げていった。気がつくと左舷に大型のタグボートが横付けになっていて、警備隊員がタラップを降り始めていた。
 警備隊も去った。私は大きく溜息を吐いた。頭上を水鳥が一羽、白い翼を広げて甲高く鳴きながら飛んでいた。
 何事も起きなかった。当然起きるべきことが嘘のように消えてしまった。何事も起こる筈がない。これからも……と云いたげに水鳥が舞っていた。私は両腕を高く伸ばして深く息を吸い込んだ。

 日光丸は北西に進路をとって動き始めた。その時、突然どこからか三機編隊の偵察機が船の上に現れて旋回し始めたと思うと、瞬く間に数を増して、およそ三十機も続き、バルボア市街の方に小鳥の群れのような小粒になって消えた。
 太陽が次第に落ちて、空と海の色が黒さを増し、殆ど溶け合った。日光丸は相変わらずの速さで動いていた。座礁の心配があるのだろうか。私は暗くなった水面を透しみるように瞳を凝らした。
 すると、暗い中に、更に黒い物が近ずいて来る気配に身をこごめて、その影を見詰めた。その影はどうやら小舟のように見え、日光丸に接触したのか、視線から消えてしまった。気づくと、日光丸は停止して、波の動きに任せて揺れていた。
 なぜ、こんな所に停まるのだろうと思っていると、船尾の方で人声がしたので、その方を見ると、数人の人影が見え、急に舷側が明るくなった。その中にコーチの姿があった。人影は先ほどコロンの岸壁で見た日本漁船だった。鉢巻で花札に興じていた若者たちが手を振りながら、日本丸を離れていくところだ。コーチが帰って来たのだ。
 私はコーチの忍者のような行動が気にくわなかった。私が日本人と知りながら、なぜ、身分を明かさないのだろう。不愉快な奴だ。