ホーム | 文芸 | 連載小説 | パナマを越えて=本間剛夫 | パナマを越えて=本間剛夫=22

パナマを越えて=本間剛夫=22

 もう、そろそろ夕食の時間だ。時計を見て、ゆっくり食堂へ向かった。食堂の窓が明るく、薄いカーテンを通して二人の影が見えた。
 コーチは私の素姓も胴巻きのことも知っているらしい。ボリヴィア人の商人、日本漁船の船長である彼が自分の船を離れて、この貨物船に乗っているのだから、日本人に違いない。
 それなら、なぜボリヴィア人だというのか。疑問がどうどうめぐりで、まだ彼の素姓を解く何の手掛りも掴めないのが口惜しかった。
 夕食のベルが鳴った。食堂には機関長と通信長、そこに珍しく徳利と盃が添えてあった。
「今日は随分大勢乗り込んで来ましたな。暑い上に身動きできない程で閉口しましたよ」
 機関長は、まだ暑いらしく扇風機を自分の方に向けて独占していた。
 船長とコーチとパーサーが一緒に入って来た。三人が座についた時、すかさず私はコーチにいった。
「今朝、私が眼を覚ました時、あなたのベッドが空っぽでしたね。ところが、この船のうしろにいた日本漁船にはあなたがおられた。私は見たのですよ。あなたは日本人ですね」
 コーチは答えず、僅かに唇を歪めて薄ら笑いを浮かべた。しかし、その眼は怒っているように見えた。
「君がブラジル人か日本人か分らないように、わしもどっちか分らないんだ。君、人には誰にも秘密があるものだよ。どっちだっていいじゃないか」
 コーチがそういったのをしおに、食事が始まったが重い空気が流れた。
「無事、通過しましたな。今夜は祝盃というほどではないが、どうぞ……」
 船長が盃を挙げた。私は今朝から船長と顔合わせていなかったので、いつもの船長より顔色が良く、晴々としているのに気付いた。この状況で船長という職の重さを推量した。私も盃をとった。
「おめでとうございます。お疲れだったでしょう」
 船長は「いや」といったが、さすがに安堵の色が見えた。するとコーチが
「今日の偵察機はばかに執拗でしたな。ご苦労なことだ」
 吐き出すように云って、相当な酒豪らしく手酌でぐいぐい飲んで舌打ちした。
「非武装の貨物船に、大げさなことよ」
「子供じみてますね。アメリカ人ていうのは無邪気なもんだ。嫌がらせにしても……」
 私もコーチに調子を合わせた。追従ではなく、実感だったが、これから一カ月、彼と鼻つき合わせて過ごさなければならないのは辛いが、彼とうまを合わせておくことも悪くはないという打算も湧いた。彼の素姓を解くためにも有効だと考えた。
「あなたは水産関係のお仕事ですか」
 コーチが機嫌よさそうなので、うるさがられるのを承知でいってみた。
「そう、わたしは魚取りだよ。今度の旅も魚場探しでパナマ以北をずっと廻って来た。カリブ海は有望だ。海老、かじきまぐろ、鯛など殆ど無尽蔵だ。ところが、中南米ほど漁業が幼稚なところはないんだ。宝の持ちくされだよ」
 コーチは正真正銘の魚取りらしかった。酒が入ったからだろうか。彼の専門分野のせいでもあろうが、水を得た魚のように饒舌だった。
「鱒なんかも、ブラジルのリベイラ川は北海道の十勝川と殆ど条件は一致している。あそこも有望だ。ブラジルのために理想的な動物蛋白の供給地だ。まだ、許可は取らないが、パナマは真っ先に漁獲権をくれたよ」
 私ばかりでなく、船の男たちもコーチの話しに興味を引かれて耳を傾けた。