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パナマを越えて=本間剛夫=26

「その頃、アマゾン調査団という日本人たちがボリヴィア国境までやって来たんだ。その団長というのが父の親戚だった。よく調べてくれたもんだよ。わしは、その団長に連れられて日本へ来た。その団長をわしは父と呼ぶようになって、日本の学校を出た。……まあそんなところだよ……」
 私は東京練馬にある、日本力行会の図書室で「秘露棉花移民史」でそのことを読んだことを思い出した。
 コーチの話はそこで終わるのではなかったが深く考え込んで、それから口を開かなかった。コーチの現在までの履歴の不可解な点をまだ解くことはできなかったが、コーチの深い悲しみをこの上も掘り返させようとは思わなかった。
「ありがとう」
 私は心の底から礼をいった。
 コーチは顔をあげた。
「わたしは、学校をでてから、またジャングルへ戻ったんだ。お袋と歩いたゴム林が懐かしくてね。お袋がどこにいるのかさがしたが、とうとうみつからなかったよ」
 そういいながらコーチはベッドに横になり、低くゆっくりいった。
「高知というのは、いい名だよ。君、高いところを知れ、低い所は見るな。高邁な精神に生きよってことだ」
 次第にコーチの声はかすかになり、聞きとれなかった。間もなくコーチは鼾をかき始めた。私も横になった。
 翌朝、私はコーチに起こされた。日光丸は更に北上を続けていた。右舷五百メートルほどの近くに赤茶化た合衆国の陸地が見えた。
「君、あれを見給え」
 コーチがさす方に眼をこらすと、湾岸に沿って半円形の巨大な建造物が並んでいる。いつかコーチがいったトーチカだ。等間隔の建物の間を蟻のように往復しているのは自動車だ。その自動車の大きさはマッチ箱より小さく見えることから、トーチカの巨大さが推計できた。
 その時、また、高い金属音を響かせて偵察機の編隊が頭上を通り過ぎた。はじめは一機だったのが山波の上に無数の黒点が現れ、それが編隊となって飛んでくるのだ。
「サン・ジエーゴの海軍基地からだ。いやがらせもいい加減にしろ」
 こーちは編隊に見上げて叫んだ。編隊は二分ほどで大陸の方へ消えた。間もなく、そのあとから鴎の群れが現れ、偵察機と同じように日光丸の上を旋回した。鴎たちも偵察機の真似をしているのか、と鴎も憎くなった。
 日光丸はそれから急に船首を南に向けた。
『君、この船はアメリカ海域を航行する最後の日本の船なんだ。これが最後だ!』
 コーチが云った。
「最後……、それはどうして?……」
「君はわからんのかね、あのトーチカが対日戦用のものだってことが。日本は、いつまでも経済封鎖に堪えられるものではない。開戦は明日かも知れない、ということだよ」
 コーチは重ねていった。
 開戦となればブラジルへ帰れなくなる。覚悟はきめているものの、日光丸に乗ってしまった悔いが胸を重くした。
 しかし、それは一瞬にすぎなかった。
 ―これでいいのだ―どっしりと手ごたえのある胴巻きを撫でながら、重い責任を果たす満足感を噛み締めた。
「ところで、君は、わしの素姓を知りたがっていたね。それは前に話しているが、横浜へ着けば、もう会えないから、ここで全部吐き出してしまうよ」