コーチはニヤリと頬をゆがめた。それは今まで一度も見せたことがなかった表情だった。無邪気な人なつこい笑顔だった。
「君は中野学校を知っているかね。知らないだろうね。軍の謀略学校だ。わしはそこで教育を受けた二重国籍の日本軍人だよ。わかるかな。軍人で二重国籍が許されるわけはない。だが、それだからこそ、わしは日本のために好都合に働れたのだよ」
そうだったか。やはり……。私は声が出なかった。
「君が横浜に着くと、わしの仲間が、君の胴巻きを受け取りに来るよ。ご苦労だったね、全く。ところでミナミさんに電報を打たなけりゃね。ずいぶん、こんどは彼の厄介にになったからなあ……。発信人にわしの名も加えてくれ」
コーチは、もう漁船の船長ではなく、一分の隙もない特命を帯びた軍人になっていた。
私の胸は晴々として膨らんだ。
私は電信室に行き、頼信紙を貰ってミナミ店長宛に電文を書いた。
アメリカニ カモメトビカウ
ウミアリテ カエリユクフネ
ノドカナリケリ フクダ・コーチ
日光丸は大きくうねり始めた波を切って、速度を増していた。
ミナミ店長は、ダイアの無事を知って安心し、喜んでくれるだろう。
部屋に戻ると、コーチの姿はなく、ベッドが整えられていた。
気づくと、私のベッドの上に封筒が乗っていて、開くと、コーチの文字で次ぎのように書かれていた。
船が横浜に着くと、まっすぐに中野学校へいく。
メキシコ北部からロスにかけての、あのトーチカの列の存在を報告する。トーチカの内部構造は不明だが、わが軍の進攻を防御、撃退に十分な機能を備えることは明らかだ。
もう、エンセナーダにいくこともできず、君と会えないのが残念で堪られないが、やむを得ない。許せよ。
永い旅行中、お世話になった。有難う。
ご健康を祈る コーチ
《終》
◇「パナマを越えて」について◇
サンパウロで銀行員だった私が、なぜ工業用ダイアを腹に巻いて帰国しなければならなかったのか。それは、読者が十分、納得されるように述べたつもりですが、作者にとっては、まことに不合理な悲哀というべき宿命でした。
農業を志して、日本でサンパウロ農大の入試に合格してブラジルに渡ったのは十八歳のときでした。
二年生のとき、農業雑誌に寄稿した「サンパウロ郊外における蔬菜栽培の将来」で、この雑誌社に入社を勧められ、記者として働いているとき、突然、帰国を命ぜられたのがダイアを日本に届けることでした。
時、まさに日米開戦の兆しが迫っていて、ブラジル行きの船がなく、神戸大学につとめていると海軍通訳として招集され、終戦時には通訳をつとめました。(次章から「流離」として続く)