流離 = 第一部
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今日も回診の時刻になると、例の如く敵の偵察機がやってきた。いつも午前と午後、殆ど同時刻に現れるので我々は定期便と呼んでいた。敵は抵抗力を失っていると甘く見ているからに違いなかった。
ブリキの薄金を叩くようなキンキンと頭の芯に響く偵察機が、周囲十六キロしかない孤島の上空を何回か低空で旋回する。数機で来ることもある。
まだ三カ月ほど前までは、毎朝、いくぶん東の空が白みかけた暁闇の雲間を縫ってB25が北に向かって上空を通過しながら爆弾を投下すると、トラック島の火器はいっせいに火を噴いて敵機を退散させたものだったが、その後は絶えて姿を現わさず、小型偵察機だけになった。
敵はカロリン群島の主島ポナペ、トラックに上陸し、北上してサイパン、グワムを手中に収めたという情報があり、それが事実なら、次には小笠原諸島を経ていよいよ東京に迫るだろうと予想された。内地からの輸送船が杜絶えたトラック島の兵隊が得られる情報といえば、敵機が撒いて行く日本語の伝単であった。
司令部の兵隊はともかく、舞台の兵隊たちの情報源が敵の落とす紙片に頼っているのは皮肉でもあった。私たちは以前から敵の情報の信憑性はトラック島でも裏づけられ状況が続いた。例えば、ここ二、三カ月、B25の来襲が全くなくなり、偵察機のみになったということは、敵はトラック島よりも北方に有力な航空基地を獲得したということだ。
爆音がしても司令部は警報を出すことも中止した。艦載機の来襲は爆音と同時だからだ。また、全島八千の将兵を収容できる随道がほぼ完成したからでもあろう。
今日も友軍の砲火が見られず、敵機は南の海上に去った。そのあとは再びもとの静寂に戻る。
早朝から夕方まで、空と海の濃い青に包まれたこの孤島は、敵機の爆音と島のあちこちで豪を掘る発破の地軸をゆるがす轟音がなければ、祖国の運命を賭する戦場の緊迫感は全く感じられなかった。
兵たちは、なぜ友軍の砲火器が火を噴かなかったのかという疑問とともに、なぜ急に日々の休養(食事)が乏しくなったのかという怒りも、一旦有事の際のために余力を蓄えて置くのだという司令部の方針を聞かされていたからだ。週二日の米飯、缶詰、たばこの配給が日を遂って減量され、主食が粥になっても不満をいわなかった。内地から、もう半年以上も連絡船がこないことを知っているからだ。
島が静寂に返ったのは束の間だった。再び仄かな爆音が聞こえ、海上で激しい機銃の音がした。海軍の漁労班が狙われたのだろう。敵機来襲の合間に網を曳き釣糸を垂れる漁労班は、地上の何れの部隊よりも危険度が高い。敵の前には前身を曝し、逃げ場のない作業で死者を出している。鰹の宝庫であるこの海域で、兵たちは魚肉にも飢えているのだ。
今日の爆音は、いつもと違っていた。十機以上の編隊なのだろう。軽快な金属音の中に不気味な鈍重な響きが混じっていた。私たちはその爆音によって、今日一日の運命を占うような習性を身につけていた。それが重爆にしろグラマンにしろ、その中に不調和音を含んでいる時に、味方の犠牲者が出るという不快な予感を強いられていた。