中尉は帝国軍人として、それがいいたかったのだ。まだ少年の弟を残している彼は、皇軍の選ばれた士官として殉国の忠誠心に培われたのだから、私の二重国籍の不純さは、私の背徳思想を現すものであり、許し難いのだろう。
返す言葉もなく、立ち上がった。
私は日本に帰ってから日本人であるよりも、むしろブラジル人でありたいと考えるようになった。日本人の常識では、私の二重国籍は彼らの理解を超えたものであった。到るところで、国籍が問題にされた。開戦前に、なぜ日本を出ていなかったのだろう。アメリカでもカナダでもそこに着きさえしたら、ブラジルに帰り着いていただろう。
しかし、そのことと、目の前に伸吟する患者に薬物を与え、血液を提供することは全く別の問題だ。
それは人間の本性ではないか。
☆
ブラジルから帰国して二週間とたたないうちに、徴兵検査をうけるようにと、村役場の兵事係から連絡をうけた。既に私の村の壮丁(成人男子)たちの検査は終わっていて、四里ほど離れた隣接郡の群役所々在地の町に、兵事係に連れられて検査に出頭した。検査場は町の小学校の講堂があてられていて、十一年遅れの私の検査は最後に廻された。
検査を終わった若者たちが帰ってしまったあと、徴兵官の中佐と向き合って座らされた。町役場の史員たちと私に同伴した兵事係が遠巻きに席についている。長い外国生活を送って受験する私が特別な関心を呼んでいるのは当然だろう。
私を注視していた中佐は、煙草を出して私に勧めた。あり得ない光景に違いなかった。私は丁重に断った。日本人の習慣のけじめを忘れてはいなかったからである。
「このたびは、重要な仕事でご苦労だった」
中佐の言葉は柔和に響いた。
私の身上調書に、私の日光丸で帰国した任務が記されているのだろうか。
「はい」
答えながら、兵役には取られないだろうと直感した。私は兵隊以上の国民の義務を果たしている、という自負があった。
「……君は、二重国籍になっとるが、もし、日米が戦うことになった場合、どちらに組するかね」
これは誤診も甚だしい質問だった。ブラジルはアメリカ合衆国ではない。ラテン系の完全な独立国である。
「開戦の時、日本に住んでおれば、勿論私は日本人ですから、日本人として働きます」
私は背筋を正して躊躇なくいった。
中佐は、一般の日本人のように、中米も南米も合衆国の属領のような認識しか持ちあわせないのだろうか。合衆国が対日戦線を布告した場合、中、南米は古いラテン文化の流れを汲んでいることに誇りをもって、成金の新興国アメリカを蔑む風があるからだ。しかし、現実の問題として、中米の小国群は合衆国の傘下に入ることは容易に考えられる。
「では、アメリカにいたら、どうするかね」
これもまた愚問だ。
「私はアメリカ人ではありません。ブラジル人ですから、アメリカとは全く関係ありません。もしブラジルと日本が戦争になる場合、ブラジルがアメリカと連合する場合、私が召集されれば、やむを得ず日本と戦うことになります。しかし、三十才を越していますから召集されないと思います」