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一家3人、援協一筋=「元気な間は援協で」

生田勇治医師

生田勇治医師

 「僕は学生時代から援協一筋」と、整形外科医で元病院長の生田勇治医師(68、山形、帰化人)ははつらつとした笑顔で語る。息子は援協役員、妻はアマゾニア病院の小児科医と一家3人で援協を支える。
 援協ができる前、海協連が巡回診療を実施していた頃からの縁。「父や弟がマラリアに罹った時、巡回診療に来た今田(求)先生や細江(静男)先生にお世話になった。先生たちに熱帯病のことや水の使い方、予防接種、虫に刺されたときのこと、熱帯地方での基礎知識を随分教えてもらった」と振り返る。
 68年にパラー国立大学の医学生になり、汎アマゾニア日伯協会の学生寮に住みながら夜学のバイトをし、帰宅後はアマゾニア病院の池田幹彦医師の助手として働いた。池田医師は67年にサンパウロ州から派遣されたが同地に定住し、同院に47年間勤め上げた人物だ。
 「寮の下が診療所だったので、病院前の電灯の光で勉強した」と言う。池田医師の「かばん持ち」から始めた奥地巡回診療は、今も続けている。
 大学卒業後も同病院に残り、整形外科医としての一歩を踏み出した。慶応大学や名古屋大など日本での研修も重ねて腕を磨き、アマゾニア病院長、医局長、援協副会長と要職を歴任、現在は幹事長を務めつつ、パラー州整形外科医会会長も担う。
 「明るく楽しく、愛を持って仕事をする」のがモットーという。貧しい人や職員には無料で診察や手術も。「今も週に4回は大手術をする。元気な間は援協で働きますよ」と強くうなずいた。