三浦軍曹の声が止んだのは、護送兵が部隊からかき集めた煙草か甘味料をせしめたからだろう。
このような場合、私の同僚たちは何気なく座を外す。先任仕官が拒絶するのを、その部下である兵が引き受けるわけにはいかない。非人道な鬼のような振舞いに口をさしはさむことは軍の秩序を乱すことになるからだ。
私は明るい光線の届く医務室に入った。一目で患者が農耕班であることが分った。泥んこの靴に、ヘリが昆布のようにぼろぼろな脚絆を巻きつけ、防暑帽に太陽の光線の直射を避ける垂布がついている。いつの間にか二人の同僚も姿を現した。どこかに匿れていたのだ。
「どこでもいい。空いているところへ持ってっけ!」
軍曹の指示で同僚と護送兵が患者を抱えるようにして奥に入って行た。
☆
トラック島の将兵の半数は南方戦線からの流れ者だ。流れ者の集団が先住の精鋭と合体し、調和と秩序を保つ必要から出来上がったボロ布をつぎ足したような兵団であった。その中でも三浦軍曹のような兵隊やくざは稀な存在だったが、平時でさえ厳しい規律によって保たれている組織が、寄せ集めの将兵が半数を占めている第九○一師団でも崩壊を免れているのは、内地直来の兵団が、島の主力として根幹を占めているからだ。
もし、ボロ布部隊から将校やくざが発生したら師団はどうなるか。島は戦わずして内部から崩壊してしまうだろう。飢餓の中で、いつ戦争が終わるとも知れぬ環境で、将兵はどこまで堪えられるだろうか。八千の将兵によって築き上げられた巨大な要塞トラック島は、いつその機能を発揮するのか。兵隊である私たちの焦燥が将校の間に蔓延しないとも限らない。三浦軍曹は例外としても、将校やくざが出ないとは断言できないのだ。
農耕地の作物に部下を引き連れた高射砲部隊が掠奪をかけて農耕部隊から追い払われた。その隊長は大陸で罹った梅毒のために頭がおかしくなっていて、師団軍医部に隔離されているというような、まことしやかな噂が広まってもいた。
新患を連れて奥に入った同僚たちは、もう昼食の時間が迫っているというのに戻ってくる気配がなかった。
「兵長、行って見て来い。何をしてけつかりあがるんだ」
軍曹は声を荒げた。
私は護送兵の持って来た入院願書を軍人手帳と照合しながら患者票に記入を終わるところだった。奥に入り新患に近づいていくと、そこから力のない低いすすり泣きがきこえてきた。
「どうしたのか?」
私は同僚にいった。
「申し訳ありませんです」
護送兵が代わって答えた。
「……入院はいやだというんです。どうしても隊へ連れて帰ってくれって……。弱ったな、全く……。どうしていいのか」
同僚も護送兵も困惑しているのだ。
患者は横になろうとせず、護送兵が抱えてきた真新しい俵の上に腰をおろしてなきじゃくっていた。彼は、さきほどの三浦軍曹のおどし文句がよほどこたえたのだろう。どうせ先の見える命なら、多くの仲間にみとられながら、病棟よりまだましな隊の濠で死にたいと、考えたのだろう。