今日に至るまで「ブラジル音楽史上最大のロック・バンド」と称されるレジオン・ウルバーナの元べーシスト、レナト・ロシャが22日、サンパウロ州海岸部グアルジャーのホテルで変死体となって発見された。53歳だった。
1982年にブラジリアで結成されたレジオン・ウルバーナは、当時の欧米の先端を行くバンドを彷彿させる高い音楽性と、ヴォーカルと曲作りを担当するレナト・ルッソのカリスマ性で、80年代のブラジル・ロック界最大の人気バンドとなった。
レナト・ロシャは、バンドが1984年にEMIブラジルとレコード契約をした直後に加入。同バンドでは85年のデビュー当初から人気となり、86年に「テンポ・ぺルジード」、87年に「キ・パイス・エ・エッセ」など、今日もテレビやラジオで頻繁に聞くことのできる大ヒット曲を出していた絶頂時の人気を支え、「ネグレッテ」の愛称でも知られた。
だが、バンドが4枚目のアルバムの準備に取りかかっていた89年、ロシャはレジオンを脱退する。その理由をロシャは当時、「レナト・ルッソから突然解雇された」と語っていたが、ギタリストのダド・ヴィラ・ロボスは後に、「彼は酒や薬物の過剰摂取やショーへの遅刻など、私生活に問題があった」と語っている。
その後、ロシャはカルチラージェというバンドに加入したが成功せず、ミュージシャンとしては名前を聞かなくなってしまった。
一方、レジオンは96年にレナト・ルッソが急死し、解散を余儀なくされたが、解散後もレコードは延々と売れ続け、バンドは伝説化した。
そうしたこともあり、残されたダド・ヴィラ・ロボスとドラマーのマルセロ・ボンファはその後も2人で集まり、代理のヴォーカルを立てるなどしてレジオンの復活ショーを度々行い、その都度大きな話題を呼んでいるが、そうした場にロシャが呼ばれたことはほとんどなかった。
そんな継続するレジオン人気の一方で、2012年、ロシャはレコルデ局の報道番組で「リオで路上生活者になっている」と報道された。これは薬物問題が悪化した結果だったが、この報道以後、ロシャはブラジルの著作権協会にあたるECADから生活保護を受けることになった。
近年はレジオンを尊敬するバンドたちによるプロジェクト、「ウルバーナ・レジオン」に呼ばれ、ステージでベースを弾く姿なども見られていたが、22日に帰らぬ人となった。家族によると、ロシャは心臓に持病を抱えていたというが、警察は薬物問題を疑っている。
ロシャの死後、ダド・ヴィラ・ロボスは自身のフェイスブックにロシャと共に写った写真をあげ、「もう何年も君のことが恋しかったんだ」とその死を悼んだ。またレナト・ルッソの息子で父の死後、権利関係を取り仕切っていることでも知られるジュリアーノ・マンフレディーニも、「父の大親友だった」と死を悲しんだ。(23日付アゴラ紙などより)