2年ほど前に脳に音を知覚する装置を移植することで、20年以上に及ぶ重度の聴覚障害から回復して以来、ラキシミ・ロバトさん(37)の人生には大きな変化が起こり、加速度的に物事が進み始めた。
普通におしゃべりができるようになったし、自身の経験についての本も執筆した。少女時代の内気な性格からも解放され、もっと開放的かつもっと積極的にもなった。
以前、彼女の声はモヤモヤした音をしていた。自分の声を認識できなかったためだ。誰かと話す時は、相手に唇の動きから言葉を読み取ってもらうことで会話が成立していた。
装置移植後、最初は難しいこともあった。音がやけに甲高く聞こえた。ちょうど、電波の届きの悪いラジオのようだった。しかし、落ち着いて聴けば、言葉の、音楽の、騒音でさえも、その裏側の感情が伝わってくるようになった。
日常の音は全て素晴らしい。雨の音、猫の鳴き声、赤ん坊の泣き声、全てが人々の生活を完璧なものにしているが、注意を払う人は少ない。
ロバトさんは9歳まで音が聴こえていたが、おたふく風邪の後遺症で聴覚を失った。
23歳になるまで音の聞こえない世界にいたロバトさんにとり、外国語を話すなどとは思いもよらなかった。英語の読み書きを学んだ時も、話すことは不可能だと思っていた。
しかし、母親の助けでフランスに旅行した時、フランス人の唇の動きを読めることに気がついた。フランス語の一部は、ポルトガル語は同じラテン語の起源を持っている。ブラジルに戻り、フランス語と読唇術を辛抱強く教えてくれる先生を見つけたため、今では口の動きを見るだけで基本的なことは分かる。
とても骨の折れる作業だったが、ロバトさんは全神経を集中して唇の動きなどを読み、舌や口を正しく動かすことを学びとった。
移植手術の後、英語を話したくなったロバトさんだが、相手の発している音やその意味を聞き取るには、これまで以上に聴覚を駆使しなければならないため、まだ読唇術に頼っているのが現状だ。
サンパウロ耳鼻咽喉科学基金から英国はロンドンで学ぶ奨学金を得たロバトさんは、大きな夢が現実のものとなった喜びで、一瞬パニックにも陥ったが、大きな挑戦だと思い、自分の限界へ挑戦することにした。
ロンドンにはブラジルにはまだない聴覚障害者に対するバリアフリー設備があり、ブラジルよりも楽になる部分もあるはずだ。メトロや教会、映画館といった施設やタクシーの中にさえ、周りの騒音を遮断し、補聴器に直接有益な交通情報を届ける磁気リングがある所があるという。(23日付フォーリャ紙より)
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