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パナマを越えて=本間剛夫=39

 衛生兵のどのような介護があろうと、明るいもの、希望するもの、期待できるあらゆるものに背を向け、そこに沈潜することだけが愉楽になってしまうのだ。患者と看護する者の間に一線を引いてしまう。そこには合体するものはない。島の現状からすれば、絶望の渕に沈んで行く患者はそこにだけ自由と安逸と怠惰と豊饒があると信じたいのだろう。入院が自らの生命を拒否するのだ。だから、入院が嫌だと泣いた今日の患者は三浦軍曹の心琴をかき鳴らしたのだろう。

       ☆        

 定刻から二十分もおくれて遮務課長が現われ、命令伝達が始まった。命令の前に「緊急情報」と前置きして、板挟みの用紙を朗読した。
「本日一二五○、敵戦闘機一機、東方海上より飛来、司令部入口付近に蹲居しいたる兵二名を銃撃、石川農耕班上野上等兵に命中、不幸にして上等兵は即死せり。同上等兵は勤務精励、近く兵長進級の候補者たり。他の一名は幸いにして無事なり」
 そこまで朗読して大尉は私を見て云った。
「幸運だったな、兵長……。ご苦労だった」
 大尉は続けた。
「その直後、敵機は電気架線に触れて墜落炎上せり。乗員は二名なるも、二名とも機外に投げ出され、一名は重傷、一名は未だに発見されず捜索中なり」
 そこで大尉は朗読を中絶して、
『ところで、重傷の乗員は女で、二十才前後と思われる。米国では女子学生の志願兵がふえているといわれるから、おそらく女子大生だろう。背部と右太腿の打撲。目下手当て中であるが、徐々に意識を回復しつつある模様。他の一名は、まだ発見されないが、携帯品と落下傘が投げ捨ててあるところから、死亡したとは認められず、島内に潜伏中と思われる、各隊は警戒するとともに、捜索に協力するように』
 米国の戦意はとみに衰えておる。志願兵といっても、女子を第一線に出さねばならぬほど、米国全土に厭戦思想が漲っておる証拠である。もう一押しであるから、大いに土気高揚につとめ頑張ってもらいたい。
 
 報告二
「今朝未明、友軍潜水艦三隻は種子用籾、白米、野菜種子、弾薬等を満載して入港せり。野菜種子は、直ちに各隊に配分を行うにつき、命令受領後、各自持ち帰ること。但し、病院関係は除く」
 今日の報告終り。次は命令だ。
 食料が届けられたという知らせは一同を喜ばせた。白米が届き、野菜が食べられるというのは、三カ月ぶりだ。テカテカのシャリを食わせる、いつも患者たちにいっていたことは夢ではなくなったのだ。その量は明らかでないが、たとえ一食でも白米が食べられるという期待は全島の兵を力づけるだろう。
 病院以外の部隊は大小の差はあったが畑地を持っていた。庶務課長と当番将校と兵たちが、紙袋の種子を隊の員数に応じて分配した。一同の顔は明るかった。大本営軍需部に対して幾度か食料を申請しながら六ヶ月も回答がない、と聞いていたのだ。司令部の上層部も、白米が届けられるとは予期していなかったのではなかろうか。
 私たちが島に上陸して以来、私たちは飢えていた。僅かに潜水艦3杯の米では焼石に水に違いないが大本営がこの島を忘れていなかったのだという安心を齎し、全島の土気を鼓舞するには十分である。