私にとっては思いもかけない待遇であった。五十円でも生活は無理ではない。とにかくブラジルに帰る日までの生活が維持できれば、それ以上の望みはない。私は深々と頭を下げた。
統いて「学校の近くに下宿を見つけときましょう」。来月から来て貰うことにして、それまでに「ブラジルに置けるアメリカ系企業の財政的役割」について英文でまとめてきて下さい。辞令はそのときお渡しします」
これで私の日本における初めての就職がきまった。部長からの宿題は、ユナイテッド・フルーツ会社とステート・ユニオン銀行の営業活動に主題にしよう。ブラジル経済を左右しているのはこの二大企業なのだから……。
私はその夕方、上野行急行に乗った。前途は明るかった。それから三カ月で大東亜戦が始まり、私は召集されたのだった。
翌朝、私はまっさきに昨日入院した石川農耕班の患者を見舞った。昨日、命令受領のあと、農耕班の曹長と一時間ちかく行動をともにして、患者が帰営したい希望をもっていることを話し、特別の取り計らいで退院できるようにしてもらいたいと頼むのを全く忘れていたのだ。
患者は「起床!」の声がかかれば、重患でない限り、床の上に上体をおこし軍人勅諭を称えることになっていた。彼は私が近づいていくのをみると上体を折って丁寧に礼をした。昨日よりも元気に見えた。
多分、昨日は直射日光に照らされながら三角山の稜線を越えてきたために疲労が激しかったのだろう。私は驚いてはいけないよ、と前置きして上野上等兵が敵機の銃撃を受けて戦死したことを話した。
「…………」
患者は一瞬、眼を大きく開いて私の顔を見上げたが、声が出なかった。
「……私のために……申しわけないことを……」
患者は肩を落として呟くように云って俯向いた。
「お前は、やはり隊へ返りたいか。どうしても帰りたいなら、曹長どのに話して手続きをとってもらう。しかし、入院は班の命令なのだ。お前だけが、特別の扱いをうけるわけにはいかない。それは、分ってるんだな」
俯向いて聞いている少年のような患者が憐れであった。
「昨日、内地から潜水艦が米や籾や野菜の種子を積んできてくれた。米も食べられる、十分ではなくても。病気が治るか治らないかは、お前の心の持ち方一つだよ。上野上等兵のためにも、お前は病気を治さなくちゃならない。上等兵の分までご奉公するんだ」
「おれが直してやる。心配するなって!」
その時、私の背後で叫んだのは三浦軍曹だった。
私は急いで立ち上がって昨日の無礼を詫びた。軍曹の感情を刺激するような、申告の態度が悪かったのだ。
「お前は、早く朝めしの支度をしろ」
軍曹が昨日のことに触れないのはありがたかった。
医務室に戻ると、大場と細谷が粥の盛りつけを始めていた。二人は私を見ると
「兵長どの、無理をしないで下さい。胸は痛みませんですか」
と心配そうに眼を向けた。
その時、濠の上を重爆編隊の轟音が島全体をゆるがしたと思うと、三角山の西方に爆弾を投下する、ドッスーンという凄絶な地響きを伝えてきた。