ホーム | 文芸 | 連載小説 | ガウショ物語=シモンエス・ロッペス・ネット著(監修・柴門明子、翻訳サークル・アイリス) | ガウショ物語=(10)=底なし沼のバラ=<2>=類稀な美しい娘と粗野な大男

ガウショ物語=(10)=底なし沼のバラ=<2>=類稀な美しい娘と粗野な大男

ガウーショ山脈(Serra Gaucha)の中の村の様子(Foto Eduardo Seidl/Palacio Piratini)

ガウーショ山脈(Serra Gaucha)の中の村の様子(Foto Eduardo Seidl/Palacio Piratini)

 男は働き者で、何でもよく知っていた。家を建てるための場所選びから、ヤシの葉の屋根葺き、材木作り、柵囲い、耕作、どれも自分でやってのけた。梁の角材を削ることから、四分の一アルケールの小麦の種撒き、さらに、牛を去勢したり、荒馬を馴らしたりすることもできた。
 マリア・アルチナ――男の娘だ――が十六歳になったころ、農園はまるで天国のようだった。周りの木々は大きくなって実をつけていたし、畑も豚や鶏もよく太って数も増えた。作業小屋があり、脱穀場があり、畜舎があり、粉引きの水車小屋があった。
 マリアノと婆さん二人は、娘っ子を掌に包むように大切に育てていた。娘は黒人の使用人たちにまで、世にも「尊い宝物」みたいに扱われていた。
 ある日のこと、マリアノ一家はマシャード旅団長の屋敷であったロザリオの祈りの集会に顔をだした。集まった娘たちのなかで、マリア・アルチナの美しさは並ぶ者がなかった。
 そこで娘はいかにもガウショの気風のありそうな一人の若者――アンドレ軍曹――に心を引かれた。ここらの詳細については何も言うまい。たかが子供のままごとみたいな恋愛ごっこをどうこう言ってもむだなことだ。
 ところが帰るときになって、別れ際に、アンドレ軍曹が娘に色鮮やかな赤いバラの一枝を差し出した……二○センチくらいの茎のついたやつだ。彼女は無邪気そのもので、そのバラをみんなが見ている前で麦わら帽子に挿した。
 わしが見るところ、旅団長とマリアノの間で何か約束事が交わされていたのだと思う。あのバラの光景を見たとき、二人は互いに目配せして、髭の下でにんまり笑っていたからだ。
 そうだ、忘れるところだったが……あの軍曹は旅団長の名づけ子で、高官の伝令役を務めていた……他にも何かと噂があったが……お前さん、分るだろう!
 その夜、マリアノの一行は道端で野宿した。娘はバラを萎れないように水を入れた小瓶に挿して急場をしのいだ。
 翌朝、夜明けと共に出発した。家に着いて娘が一番にしたのは、バラの枝を花のすぐ下のところで切り落とし、その枝をふるいにかけた柔らかい土に植えることだった。
 心くばりが実って、枝はしっかりと根をはり、やがて枝が伸び、葉を茂らせた。初めての蕾がいくつか花を開くと、娘は枝を切って香りよい花束をつくり、それを礼拝堂にある十字架のキリストの足に、自分の髪を縛っていたリボンで結びつけた。まるで祈願が叶えられたときの感謝の捧げ物のようにだ!……
 ちょうどそのころ――旅団長の企てだろうが――軍曹が別働隊への公文書を持参する途中、マリアノの家に立ち寄って一夜を過ごした。だれもが大喜びしたが、アルチナの喜びようは言葉では表せないくらいだった……
考えてもみな……娘っ子は魂も、命も心も若者のために捧げている……彼の方でも、何もかも忘れて、彼女の虜になってしまっていた。
 この度の訪問は、みんなの待ち望んでいたことだ……それは結婚の約束だった。
 若者が去ったあと、婆さんたちはボビンレース編みに精を出したり、婚礼に必要ないろんなものの準備にとりかかった。
 バラは生き生きと咲き誇り、良い香りを辺りに放っていた。真っ赤な花は畑の柵を彩って、遠くからでもそれと見分けることができた。
 だが、一羽の鷹が鳩の周囲を廻っていた。
 マリアノの農園から一キロ半ほど離れた、痩せて潅木に覆われた土地に、シッコ・トリステ という男が住んでいた。そいつはネズミみたいに子沢山で、一番上はもう青年だった。
 この若者は大男で、シッコン(大きいシッコ)と呼ばれていたが、マリア・アルチナに熱を上げていた。
 粗野で一途な男で、何が何でもマリア・アルチナを自分のもの――文字通り身も骨も――にしたくて、他のことは一切目に入らなかった。娘が内気かどうか、働き者かどうか、手先が器用かどうか――そんなことは全く気にならなかった。
 目に入るのは娘の尻や胸の盛り上がり、腕の太さとか……喩えは悪いが、雌馬の臭いを嗅ぐ牧夫といったところだ。
 娘はこの若者に対して、恐怖と嫌悪感をいだいていた。ある時シッコンはバラの苗を欲しがったが、断わるわけにもいかないので、好きなだけ持っていくようにと言った。
 「でも、俺はお嬢さんから直接いただきたいんで!……」
 「えっ、それはだめ!……ご自分で好きなのをお取りなさい」
 「だめだって?……それなら、いつかこんな下らないもの、山刀で細切れに切り刻んでやるからな!」
 言うなり立ち上がると、怒りを露わに出て行った。
 また、ある時は鶉の卵を贈り物にと持ってきた。アルマジロの仔を一腹(ひとはら)もってきたときは、彼女は大事に育てて、どうにか独り立ちできるぐらいに成長すると野に放してやった。小鹿をもらったときも、ビスカチャの仔をもらったときも放してやった。
 自分の贈り物を一度も見かけないことを不審に思ったシッコンは、そのわけを知ると腹いせに、エマ(駝鳥)の雛を何羽も捕まえて、羽や足を――生きたままだぜ、人でなしが!――力任せに引き抜いて、まだ息があってもがいているやつをアルチナに送り届けた……哀れな娘を、男のむごたらしい仕打ちを見て、泣き崩れるばかりだった。