話すのに時があり、黙すのに時がある―。連邦警察のラヴァ・ジャット作戦で逮捕され、下院の議会調査委員会に召喚されたペトロブラス元サービス部長のレナト・ドゥケ氏は、質問の大半に黙秘権を行使した▼一方、シジ・ゴメス元教育相は同じ下院で舌を制する事が出来ず、全体を敵に回すかの激論の末、辞任した。震源は「下院には300~400人の強盗がいる」との発言だった事は本欄や2面でも報じられた。21日付エスタード紙によれば、ルーラ氏は大統領候補だった1993年、「議会には300人のピカレッタ(穴をうがちつつきたがる人の意か)がいる」と発言したが、議会との衝突はなかった(選挙では敗れたが)▼どの言葉をどんな場で誰を相手に発するかは、反応に大きな差を生む。レヴィ財相が2月末に「第1期ジウマ政権での減税措置の一つは度を超しており、大きな損失も生んだ」と言った時、ジウマ大統領は不快感を露わにした。だが、16日にメルカダンテ官房長官が「あの減税措置は行き過ぎていた」と発言した時は無言だった▼3・15デモの前と後の違いもあるのだろうが、状況が違うと同じ内容の発言も、違う態度で受け止められるのは興味深い。だがそれが、デモ直後に対話を強調した大統領の態度の変化を意味するかは疑問だ。教育相辞任後に閣僚再編を問われた大統領は財政調整案承認後と答えたが、ルーラ氏は調整案承認のための与党取り込みの意味でその前の再編を薦めているとも。自分の意見や考えを変えない事で知られる大統領だけに、「対話の相手は自分の言う事を聞いてくれる人」とのエ紙コラムの言葉がえらく現実味を帯びてくる。(み)