あいつは二重国籍の西洋かぶれだから、兵隊にとられていい気味だ。土性骨を叩き直せばいい。そんな、陰口が叩かれているのを知っていた。そういう偏狭な日本の社会から脱け出したかった。日本人を憎んだ。私が日本人であるよりもブラジル人でありたいと考えるようになったのは、日本が、私に仕向け悪意の結果である。
どうしても二人を救わなければならない―。敵兵に対する憎悪が憐憫の情に変わっていくのに、私は快ささえ感じていた。衛門を出たところで曹長と別れ、石塊の坂を登りはじめた。
私は空を見上げた。一点の雲もない深い碧さは、むしろ碧よりも深い濃紺であった。先きほどの爆音はあのまま去ってしまったらしかった。未帰還機の捜索だったのだろう。海鳥の群れが頭を掠めるように斜面に沿って飛んで行った。
2
真昼の太陽の下の風景は余りに静穏すぎた。爆音の聞こえない昼が不気味だった。荒川の流した血に、まだ執念深く貪欲な蝿たちがへばりついていた。私は物憂くそれを眺めて通りすぎた。
わたしはいつもの道筋をを外れて、稜線斜めに見上げる方向を選んだ。稜線の上には、大きな熔樹が一〇メートルの間隔でいくつかの塊りがある。雨の恵みの最も少ない頂上にだけ、この大木が生い茂っているのは、この植物の特性なのか。
オリンプスの港通りにも、この並木道があった。幹から出る太い枝根が幾本も地下に喰い込み、同じ熱帯樹のタコの木のように根を張っている。この稜線の幾百年、幾千年の昔には広い密林であったのかもしれない。その密林の名残りなのだろうか。熔樹林は目の前にあった。
友軍が上陸して以来、おそらく誰も近づいたことがないこの林であった。もちろん我々の上陸前に友軍の航空隊は空中からの調査を行ったに違いないが、じかに足を踏み入れるのは私が最初だろう。近づくと熔樹の根もとの部分が深くえり抜かれているのに気づいた。
何かにつかまらなければ幹に触れることができない。私はその崖を見上げて溜息をついた。熔樹は帽子のようなつた山魂の上に立っていた。長い風雨の年月の間に根元がえぐられたのだ。それは僅か三メートルほどの高さなのだが、私がいかに懸命に跳び上がったところで手が届くものではなかった。崖の周囲をひと廻りすることにした。
その崖のちょうど裏側に廻ったとき、意外なものを発見した。帽子の庇のような部分から無数に垂れ下がった熔樹の根が、びっしりと張った蔓草とからみ合って編目のように崖のふところを包んで垂れ、それは厚いカーテンのようにえぐられた壁面を覆っている。その内側がどれほどの広さなのか、透かして見るまでもなく大体の見当がついた。
垂れ下がっている蔓草の一本を引っ張って見た。細い芯はわずかに動いただけで、その節々から出している細い根が他の芯に蛇のようにからみつき、他の芯もまた、その他の芯と互いにからみ合っている。これは熱帯の蔓草の強靭な生の習性だった。動物の本能にさえ見えた。
この編目に足をかけてよじ登ることはできても、帽子の庇の部分で遮られてしまう。樹林に入る前に、このカーテンの奥を調べなければならない。敵が樹林に登ることができないことが明らかになったが、あきらめることはできなかった。
このカーテンの奥の秘密を探らなければならない。しかし、今日はもう時間がない。帰営の時間に遅れてしまう。いつもの小径に出るために斜面を降りはじめた。