下士官兵の面前で制裁を受けて以来、少尉は余り私たちと話したがらなくなっていた。私は彼の、その様子から連合軍は既に本土に進撃しているのではないかと推察した。
命令伝達が中々始まりそうにもないので、兵隊たちはそれぞれ壁を背にして座り込んだり、横になるものもいた。
「兵長、うちの畠は全滅だよ。あいつら畠を狙って爆弾をめちゃくちゃに落としやがった。予定の行動だったんだな。芋が、いつごろ食べられるようになるか、計算しとったんだな。あと十日もすりゃ、まるまると肥ったやつが食べられたんだ。ひでえ奴らだ……」
荒川上等兵が約束してくれた甘藷は、もう口にすることができなくなったのか。
「お前も横になれ、わしも一睡りする」
私たちが横になろうとしたとき、庶務課長と副官が憔悴の色を漂わせた姿を現した。今日も重大発表があるのだろう。命令受領者たちは立ち上がってぞろぞろと副官の前に整列した。
副官は聞きとれないほどの低い声で、米軍が長崎と広島に、かって見なかった強力な爆弾を投下し、広島が一瞬にして完全な廃墟と化したこと、聖戦の帰趨は全く余談を許されない状況にある。我々は最後の一人まで戦わねばならぬ、とつけ加えた。
食糧や医療品の補給によって、大本営の余裕を信じた我々兵隊にも、一方では数日前から、どこからともなく広がっていたソ連を仲介とする終戦処理の段階にあるという噂と、今の副官の発表とを合わせて、日本の敗戦が徐々に迫っていることが実感となってきた。その時が目の前にきている。余りにも果敢ない幕切れであった。列の中から幽かな鳴咽が洩れた。
戦況が次第に不利になり、転々として戦場を移動してきた、いわば鳥合の衆、戦場の流れ者の集団であっても、誰もが戦勝を夢みて、華々凱旋の日を心に描いたときもあったのだ。妻子や同胞との何年ぶりかの拘擁を楽しみに勇気づけられてここまで頑張り、生きのびてきた。
もはや戦意というほどのものはなくても「無条件降伏」、「捕虜」などという不吉なことばが、頭の隅にうごめき始めているのを誰も抑えることはできないのだ。これからどんな運命が我々を待っているのだろうか。
南方戦線に送られて以来、最も新しい者でも三年、熾烈な戦闘らしい経験もなく、敵の追撃を逃れ、ひたすらに逃亡に明けくれた島の将兵たちだった。何と不甲斐ない軍隊だったろう。鳴咽はその非運への噴りであるかも知れない。
「……しかしながら、天皇陛下のご命令があるまでは皇軍としての誇りを保ち、秩序を堅持し、軽挙を慎しまねばならない。……解散っ!」
遮務課長の訓示が終わっても命令受領者たちは列を離れず、しばらくは私語もなく呆然と立っていた。誰もがめいめいの直面しているせっぱ詰まった運命について考えているのだ。
今日こそ、負傷兵の容態を聞き出そう。いや、どうしても女と会わなければならない。私は命令受領者の列を離れて医務室の前に立った。今日の衛兵は顔見知りの兵長だった。私的な用談の場合、同じ階級というものは好都合なのだ。どちらが先任かはわからないが、不思議な連帯感、仲間意識を相互に感じるのだ。
「ご苦労様です」
私は敬礼して、気安く声をかけて彼の反応を待った。相手も同じことばを繰り返した。
「米兵の経過はどうですか。面会したいのですが」