「48年間、たくさんの弟子を育てることができブラジルには家元として心から感謝している。でも木田個人としては気質が合わなかった部分がある」――日本舞踊の池芝流家元の池芝緑さん(本名=木田洋子、74、東京)が五月に日本へ永住帰国するのに際し、後継者の池芝緑苑さんと共に挨拶のために8日に来社し、晴れ晴れとした表情でそう積年の想いを語った。
池芝さんは1941年2月東京生まれで、花柳流で3歳から日本舞踊を始め、17歳で名取になった。5兄弟の4人が歯科技工士としてカナダに移住していたこともあり、結婚後、親戚の勧めで66年に渡伯し、日本舞踊を教えてきた。
日本で名取の資格を取ってきたのは、花柳金龍師範と故藤間芳之丞会主に加え、池芝家元の3人のみ。当地の日本舞踊界の〃生きた文化財〃ともいえる存在だった。
渡伯当初、花柳流の看板を背負う中で「自分が大きなまとまりの中の一ということに窮屈さを感じるようになっていた」という。そんな72年、カナダで布教活動する日本人牧師から「独立して流派を始めたら」と勧められ、池芝緑と命名してもらった。
その後、池芝流の家元として一時期は300人以上を指導し、名取を20人も輩出した。35年前から師事する緑苑さんはその高弟で、今回後継者に指名された。花柳流をベースにしながらも、独自流派として「数え切れないぐらいの振り付け」をし、日本同様の厳しい指導を実践してきた。
「日本舞踊は日本人の心。曲によって歌詞を理解し、思いを感じ取るもの」との基本姿勢から、「日本の歴史も理解していない者に、ちゃんと踊れる訳がない」との真情を吐露する。「〃芸を習う〃には、じっと耐え忍ぶ姿勢が必要。その辺の考え方がこちらでは全然違う」と限界を感じていた。
半世紀近い当地生活に関して「NHKもインターネットもない時代には、私の舞台を見るために会場に入りきれないくらいの人が列を作って並んでくれた。本当に嬉しかった」と語り、「あっという間だった」と振り返った。
今回、帰る決断をしたきっかけの一つは、「昔から『ブラジルは自分と合わない。帰りたい』と繰り返していたら、ある時、息子から『それなら帰ればいい』と言われてスパッと決めた」という。帰国後は東京在住の娘夫婦と住む予定。
5月7日の帰国を前に、お別れ会が26日午後1時からサンパウロ市のACAL東洋会館(Av. Liberdade, 365)で開かれ、池芝家元も踊りを披露する。入場無料。家元は「皆さん、ぜひ来てください」と呼びかけた。
後継者の池芝緑苑さんは、「師匠の思いを引き継いで池芝流を盛り上げていきたい」と抱負を語った。
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