「平地(ヴァルゼア)のサッカー」―。これは下手な選手達の酷い内容のサッカーを表すのに使われてきた表現だ。
しかしながら、このヴァルゼア(平地)という言葉は元々、慣用句としての使い方とは関係なく、サッカーの起源に関わりがある。
2015年4月14日は、1895年4月14日にサンパウロ市中心部のヴァルゼア区カルモで国内最古のサッカーの試合が行われてから120周年の記念すべき日だった。
対戦したのは鉄道会社〃サンパウロ・レイルウェイ〃と、ガス会社〃ガスカンパニー〃の従業員チームで、〃ブラジルサッカーの父〃と言われる英国人のチャールズ・ミラーもプレーした。
この試合後もサンパウロ市内では他の親善試合が組まれたが、試合はいつもヴァルゼア区の川沿いか、アメリカ人ドゥリー氏の農園(今日はルス駅そばのサンタ・イネース学校所在地)で行われた。
サッカーが普及して皆が練習し始めたことで、サンパウロ・アスレティック・クラブ(現Spac)、マッケンジー、ジェルマニア(現ピニェイロス)、インテルナシオナル、パウリスターノといったチームが設立され、スタジアムもでき始めた。
パルメイラスのホーム、現〃アリアンツ・パルキ〃の場所に〃パルケ・アンタルチカ〃ができたのもこの頃のことだ。
スタジアムの建設でサッカーを取り巻く環境が変わり、前述のようなチーム所属の選手達は上流階級を代表するようになったため、「平地(ヴァルゼア)のサッカー」は、大衆向けのサッカークラブを表すようになった。
〃ヴァルゼアのチーム〃というあだ名で呼ばれるようになった令には、黒人や移民、労働者で構成された、イピランガ(1906年設立)やコリンチャンス(1910年)などがあげられる。
今日でもこの表現はアマチュアチームを表して使われる。しかしこの表現をプロチームに使うと、下手なチームという意味になる。
ブラジルサッカー勃興期に作られ、いまだに使われている表現には、チャールズ・ミラーが発明したと言われている「シャレイラ」(日本では「ヒールリフト」と呼ばれ、ボールの前後を前に出した足のかかとと後ろの足のつま先で挟み、前の足を大きく後ろにけると同時に後ろの足をはずし、自分の背中からボールが飛んでくる蹴り方)がある。
サンパウロ市内に開設された最初のサッカー場はどれも、近代化の波に逆らって生き残ることはできなかったが、市内のいくつかの場所でその名残を見ることはできる。(14日付フォーリャ紙より)
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