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パナマを越えて=本間剛夫=66

 私は今村に、先に帰っているようにいい、中尉の後を追った。この機会を逃しては、もうチャンスはない。
「中尉殿、お願いがあります」
「何だ、福田か」
 中尉が振り返えった。
「敵逃亡兵を発見しました」
「そうか見つけたか」
 中尉は予期していたように静かな調子だ。
「早く見つかってよかったな……。どこにいたのか」病棟の上の崖の洞窟に極めて健康状態で潜んでいたことを詳しく説明した。
「実は電信隊でも、あの付近に最後の望みをかけていたのだ。あそこに洞窟があったのか」
 中尉の冷静な口ぶりに一層私は信頼感を深めた。
「ところで、入院中の女だが、君はその後、会ったかね。兵長は今日からあの患者の看護に当たることになっていたな?」
「まだ、会っておりません」
 司令部が、なぜか合わせないのだと不満をいいたかったが、喉の奥へ飲み込んだ。節度を越えた甘えになるのを惧れたからだ。
「見つけたことは司令部へ報告したのか」
「はい、報告しました。それで、今夜その女を司令部へ連れて行くのですが、夜分、誰にも会わないように連れて来いという命令であります」
「夜分に………?」
 一瞬、中尉の眼が曇った。
「……そうか。よろしい。わしが連れて行く。お前はこれから女を連れて来い。一時間後でいいな。ここで待っていよう。夜まで待つことはない」
 中尉は心に決するものがあるように強い調子でいった。私は急に体が軽くなったようだった。これほど簡単に解決しようとは考えなかった。中尉は兵隊に戦況を発表すべきだと提案して科長から暴力の制裁を受けたことを思うと、私の願いに躊躇するかも知れないと不安があったからだ。
「じゃ、一時間後にな、………」
 中尉はそういって、緩い坂を登り始めた。

        2

 透明な緑色のロープは今朝と同じように垂れていた。
 雑嚢を地面に下し、ずれ落ちそうになる上体を支えるため両脚を広げ、爪先を立てて滑り止めにした。それから左手で潅木の根元をつかんで右手でロープを握った。一分後、私は洞窟の入口に立った。「ボエノス・タルデス・コモ・エスタ?(やあ、どうかね) 」
 私の呼びかけが壁に木魂した。
「エストウ・ムィ・ビエン(元気だわ)」
弾んだ声だ。
 奥へ進もうとしてローソクを入れた雑嚢を崖の上に置いて来てしまったことに気づいた。暗闇に眼を馴らそうと暫く眼を閉じてから奥を見ると、数メートル前をアンナが入口に向かって近づいて来るのが見えた。
「さあ、今から司令部へ案内して……」
 アンナはにこりともせず命令口調でいった。
「わたしは君を護りたいのだ。わたしのいうことを聞いてくれ、日中、君と連れだっているのを兵隊に見つかったら、どんなことになるか分るだろう。だから最も信頼できる将校に君を司令部へ同伴してくれるように頼んだのだ」
「シュサクのいう通りにするわ」
 アンナは素直に納得した。
「そろそろ出かけようか。ところで君を背負って崖を登るわけにはいかないよ。体力が参ってるんだ」「心配ないわ。わたし航空兵よ……。鍛錬してるわ」