今年のチラデンテスの休日(21日)は、民政復帰後初の大統領となるはずだったタンクレード・ネーヴェス氏(民主運動党・PMDB)の没後30年にあたる日だった。その日に、同氏の孫で、昨年の大統領選で接戦の末敗れたアエシオ・ネーヴェス氏(民主社会党・PSDB)が祖父への敬意を示すと共に痛烈なジウマ政権批判を行った。22日付伯字紙が報じている。
タンクレード氏は85年1月15日、議会で行われた大統領選挙に民主化支持派の代表として出馬し、軍政支持派代表のパウロ・マルフ氏に圧勝して、21年続いた軍事政権を終わらせた。
同氏は3月15日に就任の予定だったが、その前日の14日のミサ参加中に消化器官の疾患で倒れた。そのため、翌15日には副大統領候補で、前年の7月まで軍政支持の社会民主党(PDS)党首だったジョゼ・サルネイ氏が臨時で大統領を引き受けた。
タンクレード氏の入院以降、マスコミは連日のように同氏の病状を速報で伝え、国民がその模様に釘付けとなった。一時は病状好転と伝えられ、3月25日の2度目の手術を執刀したエンリケ・バルテル・ピノッティ氏は、「タンクレード氏が望むなら、3月29日には就任式を行える」と語るまでに至っていた。
だが、その当日、タンクレード氏は動脈出血を起こして容態が急変。翌26日にブラジリアからサンパウロ市のクリニカス病院心臓研究所へ転送され、以降、5回の手術を受けたが4月21日に帰らぬ人となった。
それから30年にあたる21日、アエシオ氏はグローボ紙に祖父の没後30年にあたっての声明を発表した。アエシオ氏は、民政復帰後の30年間を「近代化が進み、国民も直接選挙や表現の自由などを謳歌するようになった。レアル・プランによってインフレが抑制された後は、社会プログラムの実施も可能となった」と語ったのに続き、「嘆かわしいことに現在は、連邦政府の腐敗や視野の狭い政治によってそれらの勝利が危機に晒されている」とした。
アエシオ氏はジウマ政権へのあてつけとして、タンクレード氏が残した「民主主義の不足した国は祖国ではない」という有名な言葉で文章を締めた。アエシオ氏は現在、ジウマ大統領罷免案を議会に提出すべく準備中で、その動向が注目を浴びている。
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