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ニッケイ歌壇(487)=上妻博彦 選

      サンパウロ       武地 志津

それぞれに個性目を引く犬達の主(あるじ)と共に朝のウォーキング
一心に女主人の後を従く桃色リボンの仔犬いじらし
老齢の飼い主が押す手車に躾よき幼のごと乗る仔犬
朝なさな園の小鳥に餌を運ぶ男寡黙にせっせと通う
半切りのマモンが並ぶ台の上多くの小鳥はや来て啄む

  「評」その内に犬が、主になる時代が来はせぬかと思うことがあるが、こちらが疲れぎみなのかも。こんな時静かな山の空気を吸い乍ら、身にしみる本をくり返し読みたいものだと思う。
   この度、この欄の同好・武地志津さんの歌文集が出版された。くわしくは、梅崎嘉明氏の「ぷらっさ」欄(4月11日)を参考にされたい。筆者も一本頂いている。

『マモン』はパパイヤをポルトガル語で発音したもの(Foto By Rodrigo.Argenton (Own work) [CC BY-SA 4.0 (httpcreativecommons.orglicensesby-sa4.0)], via Wikimedia Commons)

『マモン』はパパイヤをポルトガル語で発音したもの(Foto By Rodrigo.Argenton (Own work) [CC BY-SA 4.0 (httpcreativecommons.orglicensesby-sa4.0)], via Wikimedia Commons)

      サンパウロ       相部 聖花

年の順ならぬ年下の兄弟を失い残るも神のはからい
庭の桜咲けば一族集まりて花見するとぞよき便りあり
大鉢に移植せし小菊蕾持つ光る無数の玉並(な)むごとく
雨もよけれ澄みわたりたる空の下洗濯物の乾く幸せ
南瓜の実、入りのよき種取り分けて煮てかみしめぬ戦後しのびて

  「評」まことに神のはからいと思う。筆者も四、五年前つづけて二人の弟を亡くした。悲しをおさえ幸をと続く四首を晩歌としてささげている。相部氏の、心が伝わる思いで読んだ。そして又かみしめながら戦後をしのぶことであった。

   サンジョゼドスピンニャイス   梶田 きよ

眺めいる白雲に沿って飛機はゆく雲は悠悠動くともせず
お隣の塀がも少し低ければ飛行機の全体見えるのになあ
今月は婿のフェーリアス今日も又二人そろって何処に行きし
留守番も楽しからずや裏庭に椅子もち出して雲とおしゃべり

  「評」飛行機のことを飛機と呼ぶ此の頃であるが、これも使い出すと違和感をかんじなくなるのかも知れない。二首目、推敲しなおされたい。四、五首に氏の深層心が読みとれて胸に迫る。

      サンパウロ      遠藤  勇

秋来たる真澄の空に雲も無く風は香りてさわやかに吹く
秋風に吹き落とされし病葉(わらくば)はいとしなやかに舞いながら落つ
夕飯の飯の香りに思い出す自ら穫りし新米の香を
老妻の丹精実り白菊の匂いさやかな秋の庭かな
睦み合う番いの小鳩愛しげに頬すり寄せて何を語るや

  「評」いくらか天候も落ち着きいよいよ心地良い日が続いている。日本人の感性になじむ、熟語抜きの柔らかい作品。二首目三句『病葉』は忘れず『わらくば』と読んでほしい。

      バウルー       酒井 祥造

ユーカリの伸び良けれども雨続く晩夏に畝間の草も伸びたり
ユーカリの畝間に草の伸びしるき雨多き年の夏もすぎゆく
除草剤かけゆく噴霧機背に重し半量なれども足のもつるる
秋暑く三十五度なる日の続く夜も三十度窓明け放つ
折々に小雨は降れどしめりなくきびしき乾季に早くも入りゆく

  「評」この作品には、いつも安心と力を頂く。ブラジルに移り住んだ目的でもあったのだが、ついにはたせなかった。それでも安心感を頂くのだ。

      サンパウロ      坂上美代栄

民衆を丘に集めて受難劇キリストの血潮今年も覚ゆ
キリストに扮す青い目の俳優は衣なびかせ宙に浮かびぬ
受難劇ワイヤーを巻ける裏方は渾身の力取手に込めたる
受難日に十字架担う女性ありカメラが追える行列の中
容赦なく黒煙覆うサントスは復活の日にも人心暗し

  「評」復活祭の映像、裏方の仕事も大変な様だ。よく捉えているが、説明だけで終らぬ様に。五首に叙景と叙情がある。

      グワルーリョス    長井エミ子

渓流を庭に引き込む山家ありジッピで越えし岩山の麓
一本のミカン黄金に熟れ来れば小鳥のそっと穴あけに来る
柿の皮くるりん剥いてナイフ置く小ちゃな庭も何となく秋
秋暮るるきのうもきょうも又あしたご飯支度の私何物
太陽の滴落ちたる北伯の海ゆらゆらと肌焼く夕べ

  「評」歌の感覚の鋭さに引き込まれるが、抽象に過ぎると危うく感じられる。書きなれた作家が方行の転換を試みている様に見える。

      サンパウロ       武田 知子

移り住む百米の範囲には子や孫住みて気使ひ呉るると
移る度び身辺をそぐ身軽るさに空虚さもある余命を思う
十二時間白河夜船に戸も閉めず五瓩(キロ)痩せても疲れ見えずと
紙上にて知るのみなれど懇ろな歌集戴く人を通じて
過ぎ来しを涼しく綴り歌を詠み装幀の虹中味かたりて

  「評」二、三首目に苦慮した。『粁』を『瓩』に。『扮れ』を『疲れ』と書き整えて見た参考まで。一、三、四首に気持が現れている。

      グワルーリョス    長井エミ子

ワッショイと期限切れする物多く重きに沈む水の惑星
酸欠のごとき地球の虚しくて浮き雲集め棲み屋作らん
エイヤッと力んでみても叫んでも初秋の空の侘しかりけり
山家より戻りし街を蠢くは迷彩服着た人間ばかり
サザ波のカンタレイラの水面より立ち昇りたる水晶の空

  「評」先着の分と読み合せて見るのも方法かと思う。

      バウルー        小坂 正光

戦争中渡辺はま子は愛国の熱血の歌手其の名を遺す
戦地にて「モンテンルパの夜は更けて」唄いてはま子は兵士等慰さむ
「支那の夜」渡辺はま子のヒット曲甘き美声は人々を魅す
地図見れば極小なれども吾が祖国心臓部の如役割重し
真夜中に目覚め厨に水飲めば遠雷とどろき雨降り来る

  「評」回想は全てなつかしい。四、五首それぞれの捉えどころはあるが、五首に写実の良さがある。真実を定型に嵌め込められた時、その喜びの韻律が伝わるのかも知れない。

      ソロカバ        新島  新

アルプスの谷間に散らばる残骸に飛行機事故の凄じさ見る
事故の因人為も人為乗客を道連れにして自殺行とは
何がして人生そこまで追い詰める狂ったか常軌逸したこの行為
乗客の中に同胞も含まれて居たのを知ればなお遣る瀬なし
物体は落ちる物とは思えどもこんな事件が、世は狂ってる

  「評」乗客を道連れに、全く世は狂ってる。物質文明はここまで至ってもまだ宇宙をめざしている。元末(もとすえ)をば山の神に捧げて中らを持ちいでて。(古事記)この精神に復帰出来なければ自滅の外ない。