一行は、同地の婦人部手製の料理に舌鼓をうち、バス旅行の疲れを癒した。乃美会長によれば、同地で行われる最大の行事は西本願寺主催の紅白歌合戦、その他、文協主催の敬老会や新年会も行われている。「4年前まで日本語学校があったが、JICA青年ボランティアが来なくなり消滅してしまった」と残念そうにのべた。
この町で生まれ育ったオズワルド・クルス日伯文協の加藤アキラさん(61、二世)は、「こんなに沢山来てもらい、町を知ってもらって嬉しい。ただし、交流するには時間が短すぎてもったいない…」と残念そうに語った。
妻エイコさんも「ここでは社交ダンス、日本舞踊などいろんな活動してますよ」とアピールした。「父(正明さん、愛知)は99歳ですが、毎日お店に〃出勤〃して手伝ってくれてます」とほほ笑んだ。
午後9時半に開館を去る時は、別れを惜しむ抱擁の列ができた。婦人会会長の河下セリナさん(二世)は「2、3日前から準備して、今朝も早くから料理した甲斐があった」と嬉しそうに語った。続いて一行はドラセーナのホテルに向かい、午後11時に到着し、長い初日を終えた。
浦林敦子さん(あつこ、86、富山)は「お寺のように立派な会館だった。お寿司が美味しかったわ」と感想を述べた。小林ヨシコさん(二世)も「子供の頃にここの近くのパカエンブーに住んでいた。今回訪問予定だったのに、急に行けなくなって残念です」と惜しんだ。
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一行は翌3月28日午前8時にはドラセーナのホテルを出発、10キロ離れたジュンケイロポリス(人口約2万人、1949年創立)の本派本願寺に到着した。立派な建物だが160人余は入りきれず、入口付近に一行の一部が溢れた。
不動タカシ門徒総代によれば1962年に設立され、檀家は90家族いるという。アダマンチーナに住む宇野亮(まこと)導師が正信偈をあげ、参加者皆で焼香した。
宇野導師は法話の時、高齢者が大半の参加者を見回しながら、「まだたくさん年寄りの方がおられて安心しました。この辺ではすっかり寂しくなってしまって」と笑いを誘った。
徒歩3分のジュンケイロポリス・スポーツクラブ会館に移動し、交流会を行った。同地の川崎千恵子さん(78、二世)はノロエステ線ブラウナ生まれ。48年にビリグイからジュンケイロポリスに転住した。
「土地が痩せちゃったノロエステやパウリスタから、戦後にここかドラセーナ、アダマンチーナ、トッピーパウリスタなどの奥パウリスタか、パラナ州にたくさんの人が引っ越していったわ」と思い出す。
「私らがきた当時、この辺一帯は原始林だったの。最初の頃、日本人は20家族ぐらいだったかしら。ここは新しい町なのよ」。49年に市制が敷かれる前、まさに町の草分けだ。(つづく、深沢正雪記者)