95年頃に群馬県大泉町で知り合った日系三世の知人Aの消息を久々に知った。当時小学生だった彼は二十歳過ぎに日本人女性Jと結婚し、その子供2人は日本生まれで日本国籍。何もなければ「普通の日本人」の様に育っていた可能性もあった▼ところが金融危機の直後、Aが仕事をクビになり家族で帰伯。子には〃初の祖国〃だった。09年に小学2年生、日本語しか知らなかったAの娘Dは当地の公立学校に入学し苦労してポ語を覚え始めていた▼ところがAは3年ほどで早々と日本に戻り、日本人妻Jと子供二人は当地に残って、Aの母(二世)が世話をした。Jは掃除洗濯や仕事、子の世話すら義母にまかせっぱなし―「育児放棄」の親。問題ある日本人妻を日系家族が支える構図がある▼Jは2年前、子を捨てるように義母に任せて日本へ――4月にようやく子を日本に呼び寄せたら、その兄弟が一人増えていた。貧困層が多いサンパウロ市東部の公立学校で人格形成期の貴重な6年間を過ごした娘Dは、3週間前から茨城県の公立中学へ▼Dは中学2年に編入したが授業についていけない。スカイプ(ネット電話)の向こうでDが「学校に行きたくない。ブラジルに戻りたい」と泣き続けるのを、義母が「すぐ慣れる」と説教していた。大人の身勝手さに胸が痛くなった。人格形成期に日伯どちらかに根を張らせるべきだ▼理不尽なことに、日本では年齢なりの学年に編入せねばならず、学力と関係なく卒業させられる。日本社会の下層で外国人労働者の生涯が完結する循環が生まれているのを目の当たりにした。日本は途上国支援の前に、国内の途上国子弟を何とかすべきではないか。(深)