「……父は日本では最高の学校を出ましたが、メキシコでは貧しい農夫でした。私たちが初級学校を終わったとき、前から考えていたアメリカ密行を実行したのです。ところが、国境のリオ・グランデ川を小舟で渡ろうとしたところで国境警備隊に見つかって逮捕されました。母が私たち二人を連れて三日間も逃げ回り、父がどうなったのかは分りません。農場の人たちの話では恐らく射殺されたのだろうということです。母は私たちを教育させるために身を落としました。いわば、アメリカは私たちの敵なのです。それなら、なぜアメリカの諜報員になったのかと思われるでしょう」
そこでエリカは苦しそうに一瞬言葉を切って再び話しはじめた。
「私は立場を利用して日本側諜報員と接触して米側情報を流しました。日本の諜報員は福田兵長がよく知っている人物でコーチと云いましたが、本命は分りません。ボリヴィア生まれの日系二世の漁業家ということです。母は彼から長い間、援助をうけて私たちを教育しました。コーチが私たちをアメリカ諜報員に仕立てたのです。……妹は日本の船員と接触するために身を落としました。それが日本の情報をを得るための唯一の方法だったからです……。わたしたちの、日本のために闘う任務は終わりました……。長い話を聞いて頂いて感謝します」
エリカの声は杜絶えがちになり、喉が詰まった。
三人の将校は誰も声を出す者がない。腕を組み、天井を睨んでいた副官が初めて口を開いた。
「……島の兵隊たちに英語を教えて貰いたい……協力してくれますね」
「喜んで。むしろ私の方からお願いしたいことでした」
対等な互いの会話だった。副官の心に変化が起こっているのは確かだ。息詰まる緊張で始まった会見が賢明なエリカの知恵で解きほぐされた。意識が恐讐の壁を突き破ったのだった。
エリカが席を立つとアンナも続いた。二人は並んで今度は丁寧に頭を下げて日本式の挨拶をした。振り返った二人の眼から吹き出す涙が頬を伝わり落ちていた。
翌日から全島の将校と兵を混えた三クラス編成のカリキュラムを作ることになり、エリカとアンナの書く原稿を私がガリ版で刷った。エリカは昨日の会見の前に外した眼帯をもう忘れたように使わなかった。
アンナと私の洞窟内での出来ごとは互いに触れなかった。エリカは何もかも知っていて許しているのだ。三人だけの話題は自然とブラジルとメキシコに落ちついた。
私にはもうエリカを銀行時代の同僚、愛人として見ることが出来なかった。大きな溝で隔てられてしまっていた。エリカも私に対して一定の距離を保っているように見えた。アンナとのことがあったからなのだろうか。あるいは、これも偽装なのか……。
3
英語コースには全島の将校二十余名のうち大半の十二名が参加し、下士官、兵を合わせると百名を越した。殆どが英語を学んだ経験のある者だったから会話の練習が中心になった。
降服調印の日が近づくにつれて、司令部を始め部隊の動きが活発になった。年末までには傷病兵を第一陣に内地送還が完了するだろうという噂が立った。このような情報は電信班の兵隊から洩れてくる。