真夜中、香織は一人で「マクンバ、マクンバや!」と大阪の自宅で叫び、グッド・アイデアに膝を叩いた。と言うのは、どうしても夫の片岡清をやっつけてやりたいと思っていたからなのだった。
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そんな頃、夫の片岡は朝、会社に出勤しようとサンパウロ市のマンションのドアを開けていた。ふと、そのドアの横に何気なく置かれていた、蝋燭の束と死んだ鶏を発見し、ゾクゾクと不気味なものを感じていた。
薄暗い廊下の灯りの中で見たそれが、余りに気味が悪いと思ったので、片岡はその日会社に着くと、さっそくその事を事務の女の子に聞いてみたのだった。
「フーン、ソレ、キット、マクンバデス」とナミコという二世の社員が、その質問に答えていた。
「えっ、マクンバ!」。片岡は、低い声で一人ごとのようにそう言うと、あとは黙ってしまった。何か言おうと言葉を探したが見つからなかったのだ。
「ソー、ソレハ・マクンバ・ノ・オソナエモノデス」。そう言ったナミコの話では、そういうお供えものをして、何かを神さまに頼むのだという。
「ソレデ、ヒト・コロスコトモ・デキマスヨ、セニョール」。ナミコがそう言ってから下を向いてニヤリと笑った。
片岡はそのナミコの様子に気分を害したが、人に表だって尋ねるべきではないものを、うかつに尋ねて、ばつが悪くなったのは自分のせいだという憤懣の方が大きくなっていた。
その夜、帰宅するともうその蝋燭の束と死んだ鶏は後片付けられていた。下のゼラドール(管理人)に電話で聞いて見ると、「さて、誰かが食事用に持って行ったのかも」という、ふざけた返事を寄こした。
しかし、それ以上に気になるのは、自分に対してマクンバを、誰が何の目的でしようとしたのかという事だった。このマンションは各階毎に四軒の作りなので、ドアを間違えて置いたとも考えられる。
それにナミコの話では、マクンバで人を呪い殺すには、別に場所を選んだ事ではなく、かえって遠くから祈祷する事の方が多いのだと言う事も聞いていた。もし、そうなら、自分のマンションのドアにお供えものが置いてあったとしても、それが自分に向けらものではないとも考える事も出来た。
そう考えると、いくらか不吉な思いも安らいだ。しかし、何かがこれにはあると、やはり片岡は考えないわけにはいかなかった。〃お供え物〃を見た1週間後ぐらいから、身体の不調が続き、特にあそこの具合が悪くなっていたからだ。
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夫婦喧嘩のはらいせに、サンパウロから大阪の新地にあるマンションの自宅まで飛んで帰っていた片岡の妻の香織。一人暮らしをしている間にも、夫の清を許せないという気持ちが、勝手に膨張して行く事を抑える事が出来なかった。
それで、思いついたのは、マクンバという悪いお遊びだった。彼女はサンパウロの自宅のマンションでゼラドールをするトマスに電話をしていた。元々夫婦仲が悪くなったのは、自分とそのトマスの仲のよさが原因だという事を、当の香織は百も承知だったが、それにしても、それに対する清の仕打ちの惨さには腹が立っていた。
彼はこれ見よがしに浮気を始めていたのだ。だから香織はトマスにマクンバの材料をマンションの自宅ドアのところに置いといてくれと頼んだのだった。
それが効くか効かないかは当の香織にも確信は無かったが、彼女が読んだマクンバの本によれば、まさに1週間で相手に最初の兆候が現れると書いてあった…。冗談半分のつもりで、地球の反対側から電話一本で始めたが――。
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