西銘光男氏と駒形秀雄氏の意見を拝読させていただき、私も少し意見を述べたいと筆を執りました。
1958年12月に19歳でブラジルに来た当時、このパラナ州マリンガ市の街を歩いていると、小さな子供達から「ジャポネース・ガランチード・ネ」と呼びかけられクスクス笑われたことが何回かありました。
何のことかよく分からず日系2世の同僚に尋ねると、言葉のよく分からない古い日本人移民が疑い深いブラジル人に出会い、信用してもらおうと辞書か何かで探し出した『ガランチード』という言葉を遣い「ジャポネース・エー・ガランチード」と必死になって発した言葉が、『日本人は(信用できる)保証付き(の正直な人間)なのだ』という意味で分かってもらえたこと。またそれに端を発して多くの初期移民が使い始め、今ではブラジル人が面白半分、日本人をからかうつもりで使っている言葉だと説明されました。
私が渡伯した当時はすでに日本人が誠実で正直、そして勤勉な民族であるとブラジル人の間で認められておりました。言葉の不自由さをいやというほど感じていた私は、同僚の話を聞きながら、先駆者たちの懸命になってブラジル社会のなかで生きてきた姿、下手なポルトガル語の言葉を探しながら、自分の真面目さを必死になって主張する姿がまざまざと瞼に浮かんできたのです。
その侮辱・からかいに耐えながら、このブラジル社会のなかで『正直な日本人』を貫き通す行動はどんなに困難が多かったことでしょう。遠い日本から来た希少民族として、正しく毅然と生きてきた先輩移民の方々に、私は非常な敬意を感じ、感謝したい気持でいっぱいになりました。
その後、私は私なりにそれを継承して生きてきたつもりです。お陰様で、今では日々ブラジル人からの信頼に囲まれた生活を送っております。たくさんのお金がなくとも幸せな毎日が過ごせております。
そんなことで、日本人移民歴史が百年を過ぎた今、自虐を込めたようにこの『ジャポネース・ガランチード』という言葉が日本人の口から発せられるとき、侮蔑の言葉であっただけに、想像できないような響きをもってブラジル人の心を打つのではないでしょうか。外国語に弱い日本人の弱点を乗りこえ、その実際の行動をもって、金銭では量れない大きな信頼を勝ち取ってきた我々の先輩たちの偉業を偲ぶとき、そしてこの言葉を日本の首相が誇りをもって冗談にせよ口にできるなど、私は自分の当地での五十数年の移民生活を振り返りながら、自分もそれには幾分か貢献できたのではないかと、日系人としての誇りと喜びを感じてしまうのです。
西銘氏の世代のご苦労に感謝しながら、駒形氏のおっしゃる通りそんなに頻繁に使える言葉ではありませんが、いつまでも何かの折には日系人が胸を張って使える言葉であって欲しいと心から願うのです。
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