「お前さん、わしが長い間、女の髪で作った馬の轡や端綱を使っていたこと知ってるかね?……もっとも、そのことにまったく悪意はなかったんだが」
ずっと後で、髪の主が死んだと聞いた。それを知ってすぐに馬で駆けつけ、通夜から埋葬まで付き合った……。遺体を墓穴に降ろしたとき、まだピチピチの娘だったころの髪で作った轡や端綱を柩の上に放り込んだ……神様から与えられたものをもとの持ち主に返してやることができて、長年の胸の痛みがスーと消えたよ。
じゃ、そのいきさつを話して聴かそう。
ジュッカ・ピクマンと言いう男がいた。雌馬の皮を申し分なく見事に剥いだり、その皮を延ばして張ったり、切り分けたり、皮から毛を取ったり、枠にはめて叩いて柔らかくしたり、そのやり方をみんな教えてくれたのがこの男さ…… いや、それだけじゃない。皮紐の作り方、それも、太いものから豚の毛のように細いもの、いやもっと細い紐の編み方まで、どんな作業でも細かいところまで教えてくれた。その上、このジュカという男は、なめし革細工のすごい腕の持ち主で、ごく普通の牛飼いの投げ縄作りから、立派な馬具に使う拍車の装飾や、マテ茶の吸い管や、いろいろな飾りボタンやなんか、ありとあらゆる繊細な小細工を作り出すという、細工物の達人でもあったのさ。
ジュカはインディオだった。もう爺さんだったが、一晩中マテを飲み、肉を焼きながら切っては食い、食っては切って、火が点いた薪の上にかがみこみ、まるで熱い煙を浴びるのを楽しんでいるような男だった…… そんなことからピクマン、つまり臭くて煤けたやつ、などと呼ばれるようになった。
それ以外のことにはまったく役に立たなかった。ぼろを着て、がらくたを引きずって歩き廻り、体を洗うなんてことはしなかった。だから、やつの首筋は垢でガサガサしていた。
野放しの家畜のように食べ、日向の蜥蜴みたいに地面に転がって寝た。だが、勇敢なことにかけては……そして馬に跨ったら、話は別だ!……
馬に乗ったら、もう別人だった!……まだ飼い慣らされていない若駒、気の荒い馬、悪い癖を持った馬、人を舐めてかかる馬、どんな馬だろうと、まるでわしらが丸太に座るような格好で静かに馬に跨り、手綱を引いて操った!……扱いにくい若駒が首を振っていやがろうが、啼こうが、跳ね回ろうが、このシルー(インディオ)の爺さんは馬の上で、そこらのかみさんがテーブルのロウソクに火をつけるみたいに、落ち着きはらって火打ちで巻きタバコに火を点けた。
ときには悪がしこい馬がいて、ぐるぐる回ったり、横倒れになったりする。怖いもの知らずの爺さんは、馬が痩せ土に尻をぶつけるより早く猫のように身軽に滑り降り、平ムチを馬の脳天に容赦なく降らせた。とにかく怖ろしく大胆な男だった……。
それで、爺さんは馬から振り落とされたかって? とんでもない!
かなりな金は稼いだが、いつもボロを来て、教会の中を走り回るネズミみたいに貧乏で無一文だった。
稼いだアルゼンチンやボリビアの銀貨、ポルトガル硬貨、一オンスの金貨などを、一体何に使うのかと、あるとき訊いてみた……。
シルーはしばらくおれの顔をじっと見ていたが、まるで心の中にポッカリと青空が広がっているみたいに、満足げに答えた。
「ローザに送るんだ……一文残さずな!だが、まだ足りないぐらいだ!」
「ローザってだれなのさ?」
「わしの娘さ!美人でとびっきり可愛いい子だ!わしみたいなロクでなしにはもったいないくらいだ……」
話はそこで終わった。
何年か過ぎた。わしも口ひげをはやす年になっていた。
ファラッポス戦争が勃発して、志願した。もちろん自分で決めたことだ。そこでだれとぶつかったと思うかね?同士の中に、そう、ジュッカ・ピクマンがいたのだ。
◎
あるとき、わしらはカラムル隊(政府軍)にすぐそばまで迫られたことがあった……。いつものように偵察隊として森林の中の流れの浅瀬を渡ったとき、やつらに感づかれて退却の道をふさがれてしまったんだ。前方からも敵が迫ってきて、言ってみれば、上顎と下顎に挟まれて食われてしまいそうになったのだ……。
休憩する暇なんぞなかった。馬から下りて肉でも焼いて食べようとしているときに、やつらが襲いかかってきた……戦争ではときには危険な目にあうことだってある。わしらのような強い男たちでもな。わしらは命がけであの腰抜けどもをやっつけることもできた……しかし、そんな時どうするかは上官だけが判断し、そこをもち堪えろと命令する。わしらは命令に従う、それが仕事なんだから……。
それはともかく。この身動きできない状態が、二日二晩続いた。森林に囲まれた手狭な草っぱらだったが、馬に食わせる草はあった。男たちは立ったまま仮寝をした。そんな時、見張りの兵が口笛を吹き、もう一人がこれに答えるのが聞こえた。隊長(大尉だった)が声を抑えて、早口に命令を下した。
「馬に乗れ!」(つづく)