【北米報知4月30日付】19世紀後半から20世紀前半にベインブリッジ島の製材所に存在した日本村。ノースウエスト各所にあった製材所の中でも特に日本人労働者が早く入ったとされる同所の歴史が、あらためて解き明かされようとしている。
ベインブリッジ島の南側のポートブレイクリー地区。米国最大規模の製材所があった同地には、「Yama(ヤマ)」と呼ばれた日本人居住地区があった。同地にあった製材所に日本人労働者が入ったのは1883年頃。勾配を利用したコミュニティーの高台は家族持ちの居住地区となる「ヤマ」、低地は長屋が建てられ労働者が暮らす「ナガヤ」と呼ばれた。
約50棟、多い時で約300人が暮らした日本村だったという。イタリア、ポルトガル、ハワイなど各地から労働者が集まり、それぞれのコミュニティーを形成する中で、ホテル、食品店、洗濯屋、アイスクリーム屋、写真屋も建ち、古い写真には非日系人が訪れる姿もある。資料によると、仏教会、バプテスト教会も建てられた。
ノースウエスト各地の製材所は、伊藤一男著『北米百年桜』でも大きく扱われるなど、1900年前後の日本人移民者の労働先の1つだった。各所では日本人居住地区が作られ、「日本村」としてコミュニティーが存在した。
多くは地域開発などで解体され、100年前の形跡を残すものはなく、同じく日本人居住区があったマカティオの製材所跡地でも日系記念碑が建つばかりとなっている。ポートブレイクリー製材所は1920年代に同所を閉鎖。日系移民をはじめとする労働者は退去、ヤマは姿を消した。
ベインブリッジ島公園局の所有地として現在は森林に覆われた跡地だが、ブレマートン市にあるオリンピックカレッジのロバート・ドゥロレット教授によると、ノースウエストで唯一現存する初期日系移民の居住跡地になるという。
同教授らはベインブリッジ島歴史博物館、キットサップ郡歴史協会とも連携、日系移民史を考古学という視点から着手し、3年前からヤマに関する調査を進めている。昨夏にはカレッジ内プログラムとして学生とともに現場調査を行い、当時の建物跡や水道の配管、また当時の生活を伝える食器、ビール瓶、調理に使った数種類の貝殻などが発見された。
ドゥロレット教授は、「150年続く日系史のなかで第二次世界大戦前後に大きな焦点があてられていますが、ここは歴史が始まった場所。米国経済を支えた移民のストーリーはまだ多くに知られていません」と語る。地元に残る歴史の一端を将来に伝えるべく、可能な限りの情報収集と史跡保存の重要性を強調する。
今年も夏季特別講習で学生参加による調査が進められる。今後はベインブリッジ島をはじめ、各地に散らばる当時と縁のある日系人関係者からも情報を集める。
同カレッジ内アートギャラリーでは当時のヤマを伝える写真や、現場発掘で発見された資料などを5月5日まで展示している。詳しくはwww.olympic.edu/events-calendar/archaeology-yama まで。(記事・写真 =佐々木志峰)