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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(4)=オードリー、それともカヨコ

(写真素材ぱくたそ[モデル:Lala]より)

(写真素材ぱくたそ[モデル:Lala]より)

 「アウドリー」という名前を知ったのは、佐竹健一がブラジル支社に就任して本年ほどし、事務所から工場勤務になったあとの事だった。
 どこかオードリー・ヘップバーンを思わせる名前だったので興味を覚えたのだ。工場長の日系のトミオさんによれば、彼女のフルネームは、アウドリー・ジバ・カヨコ・アキムラ・ナカオという長ったらしい名前で、現実の彼女は三〇歳半ばの日系の主婦であった。
 佐竹は工場の責任者ではないが、一応は工場の技術面の補強という役目で日本から派遣されていた。事務所の駐在員の会議で、製造に関した問題点や改良点を説明して、それに対処してゆく事が、彼の仕事の内容であった。
 工場での仕事が忙しくなるに従い、彼は就任当時に興味を覚えたそのアウドリーという従業員の事を忘れている事が多くなったが、たまにその名前の本人を工場で見つけると、「なぜアウドリーなのか?」を尋ねてみたいという衝動にかられる事があった。
 そんな或る日、彼がほんの暇つぶしに工場の中を散策している時に、彼女と口を聞く機会が訪れたのだった。
 「これ、落ちてたよ」彼女が手落とした部品を拾ってやりながら、彼はそう声をかけていた。
 「オブリガーダ」それだけの会話ではあったが、それがきっかけとなって、それから、彼は彼女の近くを通るごとに、彼女と簡単な挨拶をする事が多くなった。
 彼女は日本人にすれば端整な顔立ちをしていた。見ようによれば、美人に見える。男の好みによっては、非常な美人とに見えるかもしれない。彼女と数回話をしてから、ふとそんな事を考えてしまうようになった。それでも、なぜ彼女がアウドリーと呼ばれるのかは謎のままであった。
 ひょっとしたら、「主人はデカセギで日本です。子供がいるので、私はこちらに残りました。でも主人からの送金がなくて……」と言った、彼女の言葉に関係しているかもしれない。頭の中で色々な妄想がひろがり、佐竹の想像力を刺激していた。
 「よろしかったら、一度食事にでも行きませんか?」。子持ちで勝気な美也子という一〇年来の女房を持った佐竹が、子持ちの主婦を食事に誘うのは、勇気のいる事だったが、その申し出をアウドリーは拒絶しようとはしなかった。
 彼女は佐竹との食事を、友人と食事に行くのだと、家で子供の面倒を見ている母親に嘘を言ったと言ったが、佐竹もそれは同じようなものだった。違っているのは、食事の相手に佐竹が得意先の日本企業の社員達を持ち出した事でしかなかった。食事の後、アウドリーを乗せた車を運転する佐竹の挙動が、モーテルの前に差し掛かると自然と不自然なものになっていた。
 その不自然さに、「バーモス、シン」と声をかけたのは彼女の方だった。佐竹はその言葉に、とっさにハンドルを回していた。
 問題はしかし、その後であった。男と女の行為の後で彼女はこう言ったのだった。
 「アウドリーっていう名前にしてから、私、一度も損はしていないの、日本人の男って、みんなこの名前がとっても好きなのよ」