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スライドを使って説明する与儀哲雄さん
スライドを使って説明する与儀哲雄さん

沖縄県人会=ウチナーグチは文化的財産=「消滅させてはならない」=フォーラムで熱論交わす

 ウチナーグチ(沖縄語)の継承・保存をテーマにした沖縄県人会主催の第8回沖縄フォーラムが17日午後、サンパウロ市の同本部で開催され、約230人が「ただの方言ではなく一つの言語」「ウチナーグチの中に沖縄文化の精神が宿っている」などの7人の話に聞き入った。ブラジル日本都道府県人会連合会の本橋幹久会長は「故郷の文化や言葉を残そうというこの種のイベントを開催できるのは沖縄以外にない」との感想をしみじみ語った。

 比嘉アナマリア実行委員長は開会挨拶で「ウチナープレスで高良ケイジ・エウトンのコラムにあった言葉『沖縄文化の無上の象徴であるウチナーグチを消滅させてはならない』と読んだ時、これをテーマにするしかないと即断した」と振りかえった。
 最初に大城・保久原アパレシーダさんが、「子供の頃、何の潤いもない貧しい生活の中、父が粗末な三線を手作りして歌うのが唯一の安らぎの時間で、家族の会話は全てウチナーグチだった」との経験を語った。「その生活を通して祖先崇拝、恩義を忘れない事、相互扶助などのウチナーンチュにとって大事な精神を学んだ」。
 与儀哲雄さんは、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が「琉球諸島でウチナーグチを含む六つの〃言語〃が絶滅の危機に晒されている」と09年に発表したことを根拠に「日本政府はただの方言として扱っているが、ウチナーグチは一つの言語。豊かな精神が込められている」と熱く論じた。沖縄の黄金言(こがねことば)として《頭(ちぶる)ぬ動(んじゅ)きわる尾(じゅ)ん動(んじゅ)ちゅる》(頭が動いた時だけ尻尾も動く)などのリーダーのあり方を示す言葉を紹介し、会場では書き留める姿も見られた。
 ニッケイ新聞の深沢正雪編集長も「沖縄系コミュニティの価値」を説明。支部としてウチナーグチ教室を初開設(09年)したサンパウロ市ヴィラ・カロン会館で教師をする上原博さんは「最初は教材不足に悩んだ。多くの人が聞けば理解するが話せない状態だった」などと話した。初心者向けと中級者向けの2教室がある。当地でウチナーグチ教室を初開講したのは県人子弟が創立したコレジオ・エザッタスだ。
 上間明エドゥアルドさん=ブラジリア在住=は留学などで母県に6年間住む間に、宜野湾市の島人講座で教えていた。「この言葉にはウチナー精神が宿っている。残念なことに母県の若者の関心は薄い。むしろ我々のような海外在住者の方が強い思いを持っている」と熱く語った。
 来場者の米須清光さん(こめす・せいみつ、77、二世)は「僕は家族でウチナーグチだけで育ったから言葉の重要さは痛感するが、文化そのものや精神をいかに残すかも大事だと思う」と語った。東京都出身の畑勝喜(かつよし)さんも「ウチナーグチの素晴らしさを初めて知った。このような取り組みは沖縄県人会ならでは」と感心した様子だった。


母県でウチナーグチ教えた三世

地域ごとに異なる表現を使い分ける上間さん

地域ごとに異なる表現を使い分ける上間さん

 上間明エドゥアルドさん(31、三世)は元々、ブラジリア日本語普及協会直営のモデル校で日本語を習い、それの飽き足らずに沖縄県の名桜大学に留学した。そこでウチナーグチに目覚め、父が米国人で沖縄に生まれ育ったウチナーグチ復活運動家の比嘉光龍(バイロン)さんから習い、宜野湾市で1年間教えるまでになった。
 父は非日系と結婚し、家庭内ではまったくウチナーグチを聞くことはなかった。「沖縄の歴史に興味があって、言語学が大好き」というが、実はブラジリア大学では機械工学科で学んでいた変り種だ。2014年に帰伯。「オジイの故郷今帰仁が一番好き。自分のルーツはここだと心底感じた」。母県の人の尻を叩くように復活運動をする三世の存在もまた、〃島人の宝〃に違いない。(深)


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 沖縄県人会フォーラムの講評で、高良ケイジ・エルトンさんは「以前、沖縄県の副知事が来伯したときに、ウチナーグチで歓迎の言葉を述べたら『なんで私にポルトガル語でしゃべるの?』と返されて、あきれた経験をした人の話を聞いた」との話を紹介した。母県では使わなくなりつつあるウチナーグチの貴重さを、ブラジルでは熱心に討論し、継承保存する運動が起きているのは確かに不思議な現象。「名古屋弁」「山形弁」「新潟弁」保存運動など、ほかの県でもどうですか?