ドイツの法律家であったイェーリングという学者は「権利のための闘争」という書籍のなかで、個々人が与えられた権利を積極的に行使することの重要性を説いています。彼はここで、大要次にように述べています。「法により権利として保障されているからと言って、その地位に甘んじ、しかるべきときにその権利を行使しなければその価値はどんどん錆びついてしまうものであって、権利というものは皆が行使するからこそ実質的に機能していくものだ」。
私は、日本社会における次の問題を考える度に、このイェーリングの言葉を思い出します。
日本では正規の労働時間外に無給で働く「サービス残業」という言葉が日常用語として存在し、現実に横行しています。この言葉が日本に登場して久しいですが、この「サービス残業」を強いる会社が後を絶ちません。
「サービス残業」は、労働基準法に違反する明白な違法行為であり、これを防ぐために日本の法制度としては珍しい「金銭の不払い」に対する罰則規定が存在します。また、支払いが遅れた場合には、その遅延損害金として14・6パーセントという極めて高い利率が定められています。
このような強力な法の保護があるにもかかわらず、相変わらずサービス残業は横行し、さらには、超過勤務を拒否できない状態に置かれた労働者が、過重労働の末に精神疾患を患い自殺してしまうという痛ましい事件まで発生しています。
これに対してブラジルでは、労働者が法的に強力な保護を受けているだけではなく、実際に、これらの法律の保護を享受しているように、私には感じられます。例えば、休憩時間に自宅に戻るというブラジルの習慣は、休憩時間は自由に行動できるというごく当たり前の理屈に基づく習慣ですが、日本ではまず考えられないことです。会社と自宅が近くにあっても、自宅に戻って昼食をとるという人はほとんどいないと思います。
日本で労働者から相談を受けていますと、労働者の側に使用者に対する遠慮のようなものがあることに気が付きます。日本の労働者の中には、サービス残業に異議を唱えて法に則った賃金を請求することに後ろめたさを感じたり、権利行使することにためらいを感じるという、法律家からすれば若干奇妙な心理状態が見受けられるのです。
そのためか、日本の労働者の多くは、サービス残業の事実だけで訴えるのではなく、そこにパワハラなどのプラスアルファの不満要素があって初めて法的な措置を講じるという傾向があります(例えば、社長に侮辱をされたことにより、もはや社長に対する後ろめたさを感じなくなったので、残業代を請求したいなど)。
さて、このことをどのように理解するべきでしょうか。上記のような権利行使を控えるという労働者の態度は、契約以外の心理、いわば使用者と労働者間の「情」という側面に基づく行動といえます。契約以外の要素も考慮して行動する労働者の心理は、今のところは使用者側に都合良く利用されているようです。
しかし、労働者が権利行使を遠慮すると、サービス残業は無くなるどころか、正当化されてしまいます。その結果、権利行使をする(法律または契約どおりに残業代を請求する)労働者に対して、否定的な風潮を作り上げるという悪循環に陥っているのです。
このような悪循環を断ち切るためには、個々の労働者が自分の権利が侵害された時に、毅然とした態度で、権利侵害の回復を求めることが必要です。このような労働者側の権利侵害に対する敏感なレスポンスが、使用者側の権利侵害を抑制し、法律と現実(権利行使を遠慮する社会)との乖離を埋めていく原動力になるのです。
多くの労働者による「闘争」、個々の労働者が権利を行使して「泣き寝入り」しないこと、そのことを通じて、社会として使用者に対して法の遵守を促すことが、社会全体の意識を変えていく原動力になるはずです。
弁護士法人川目法律事務所代表 川目武彦
1978年生まれ、埼玉県川越市出身。埼玉県立川越高校卒、上智大学法学部法律学科卒。2004年に司法試験に合格し、09年に弁護士法人川目法律事務所(浦和)を設立。その後、東京都、千葉県にも事務所を設立。13年に開設した群馬の事務所にはポ語通訳を置き、在日ブラジル人にも対応。珍しい取り組みと反響を呼んでいる。
ブラジルは昼食が自分の家でも可能…? 日本の昼食は社内で云々について、日本式で当然かも…わずかの時間外へ行き何かの事故等考えると…。