小屋の中は黒かったが、老爺がカンテラに火を入れると闇の中から少年と少女二人の顔が浮かび上がった。青年が老夫婦に私を日本人の友人だと紹介した。私たちは旅装を解いて土間に座り込んだ。老婆は土間の隅で夕食の支度を始めるかと思っていると、黄色い厚い煎餅のようなものを差し出した。「食べろ」というらしく何か呟いた。青年にならって私もおし頂いた。青年が説明した。
これはトルテイーリャといって、とうもろこしの粉をパンのようにして焼いたもので、彼らの常食だという。それがどれほど滋養があるのか、インジオの寿命が長くて五十歳というのが尤も頷かれた。しかし、それは不味くはなく、香ばしかった。
青年は背負ってきたリュックから花のついたリボンと飴玉をとり出して女の子と男の子の手に乗せてやると、二人は、にっこりと微笑んで青年の手を握った。
それから青年は二人の老人と暫く話しこんでいたが、どんな話題なのか私には分らなかった。スペイン語ではなく、土語のケチュア語かアィマラ語らしかった。話が終わると老爺が二畳ほどの、草で編んだ筵を土間に敷いた。これに二人で寝ろうというのだ。
私たちは並んで横になった。それから青年は老人たちとの会話の内容を話してくれた。息子はサンファンの日本人農家に傭われて働くようになってから初めて〈現金〉の収入を得るようになったおかげで老人夫婦は山を歩き廻って木の実や食料になる草をとらなくても済むようになって暮らしが楽になった。
孫の男の子も学校に通えるようになった。ハポネスは有難いと喜んでいるというのだった。その時、青年が〈シーッ!〉と寄声をあげて人指し指を唇にあてた。
小屋の外で数人の足音がしたのだ。
最近、この辺で見かけない兵隊のような男たちが、山の中を歩き廻っているのだと青年が慌てた口調で息を殺した。私はすぐにゲリラと判断した。青年も同じだった。足音が遠のき一瞬の緊張が解けた。
◎
エスタニスラウは、ゲバラは現在パラグアイにいるといっていたが、もうボリビアに入っているのだろうか。サンファンではどうなのだろう。
私は土産を用意して来なかったので若干の礼金を老人に手渡してサンファンに向かった。道を挟むジャングルはますます密度を増し道を覆うように伸びた枝は容赦なく頭や肩を打つ。密林の中で何か物音がした気配がするたびに背筋がこわばった。道は泥んこで意外に時間を喰い、サンファンの村落に着いた時は正午を少しまわっていた。
道路が広くなり両側にはインジオ小舎とは比べものにならない木造に厚板葺きの建物が並んでいた。これが村落の中心なのだろう。私たちはサンファン農業組合と看板のかかった建物の前で馬を止めた。青年は馴れた物腰で中へ入るので私も後について入った。
中は五十坪もあろうか、奥まった所に穀物らしい麻袋が重ねてあり、片隅に事務机を置いて三人の作業衣を着た日本人が食後の休みをとっていた。青年とは顔見知りなのだ。青年はサンタクルースのホテルで一緒になった日本人だと私を紹介した。
私は日本から来たばかりで、ラパスから来たことを告げると三人は一様に私の顔を見詰めて懐かしそうに中央の会談用らしい丸テーブルの椅子に掛けさせ、四人は向かい合って坐ると一人がいった。