6月4日から7日にかけて、サンパウロ州ウバツーバ市で「第8回日本文化祭り」が開催され、延べ1万3千人を動員した。今年第8回目を数えるこの祭りは、ウバツーバ日伯協会(Anibra)の主催によるもの。05年に復活した同日伯協会は、08年にはウバツーバ市公認団体になり、同年から開催の「日本文化祭り」は毎年規模が拡大し、8回目の今年は「日伯外交樹立120周年」公認行事にも認定されている。12年以来、同協会は市内に会館も持っており、各種会合が行われている。
朝から精力的に50人程のボランティアをたばねて祭りの準備に励んでいた同協会副会長の山内昌子さん(72、神奈川)は「協会結成前はこの町の日系人の繋がりが希薄で顔を見ても挨拶さえしなかった。08年の移民百周年を控えてそれでは寂しいだろうと、05年から少しずつ日系人のコミュニケーションを取り戻すためにはじめた」と振り返った。
1958年に最初の日本移民が住み始め、日本人会も生まれたが90年代のデカセギブームを境に自然消滅していた。
浅井ネルソン・ケンイチ会長(62・二世)も「集る場所が無かったころはボテッコ(居酒屋)で、日系の高齢者をバスツアーに連れて行く計画を練ったもの」と感慨深げに語る。
会場には同協会のボランティアによる日本食屋台や、同市特産の生姜を使ったお菓子、ジュース、アイスの直売店や、日本にまつわるアニメグッズの屋台が軒を連ね、ステージでは和太鼓パフォーマンスや、地元の子供たちのダンス、日系女性歌手のデュオ「ユリとルミ」のリサイタルも行われた。
初日の4日夜、日系の諸見里マウリシオ同市長(50、三世、PT)は、開会挨拶で「日曜のささやかな昼食会を開く程度の規模から始まったAnibraが、設立からわずか10年で、市の公式行事にもなるほどまでに大きなイベントを開催している事実に、大きな敬意を表すると共に関係者の尽力に感謝する」と述べた。
逃亡奴隷の隠れ里「キロンボーラ」、インディオ部族、移民が次々に入って町が拡大し、労働者階級とホテル経営者などの資本家や別荘を持つ富裕層など、人種も経済階層も異なる人々が共生する現実を市長は説明し、「多様な市民が異なる文化に寛容性を持ち、発展していくことが市長としての願い。他者への寛容性が失われることで起きる戦争を二度と起こしてはいけない。だから終戦70周年と日伯120周年を記念する平和のモニュメントをアンシェッタ島に作りたい」との願いを語った。
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第8回ウバツーバ日本文化祭りに出店していた生姜生産業者のカミヤマ・アネさん(75・2世)は、「ウバツーバ市はカラグアタツーバ市と共に、ブラジル有数の輸出用生姜の産地。今回の出店では、砂糖をまぶしてお菓子にしたもの、生姜アイス、生姜ジュースなどがブラジル人のお客さんにもよく出ます」と語り、ひきもきらない買い物客の応対に汗を流していた。カミヤマ生姜農場は「農村観光」にも力を入れており、有機農場や生姜製品生産工場の見学、特産品販売などで観光客を集めてもいる。
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