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パナマを越えて=本間剛夫=94

「日本からですか。珍しいですね。日本からの訪問者は年に一人か、全く来ないこともあるんですよ。私たちは日本政府の棄民政策でここに入れられたんです。しかし、自分らの苦労の歴史よりも、現在、母国のすばらしい発展は、そんなことは忘れて日本人としての誇りをもてて辛いを感じる方が強いです……。ここの農産物も年々周りの国々へ出るようになりましたからね。日本を恨む気持ちはなくなりました」
 開口一番、ひと昔前の日本人らしい痛烈な言葉の中に祖国愛に満ちた胸の中を吐露されて瞼が熱くなった。
「大変なご苦労だったんですね」
 私は幸うじてそれだけいった。それ以外に言葉がなかったのだ。
 一人がコーヒーを入れてくれた。
「ところで、どんなご用で来られました」
 一人が訊ねた。
 私はサンタクルースのエスタニスラウのことには触れず、「キューバのゲバラがこんどはボリビアに入ってくるらしいと聞いて、どんな活動を展開するのか、サンファンあたりを根拠地にするのではないかと、それを調べに来たのですよ。ゲバラはボリビアの農民の生活向上を考えているのですから……」
「ああ、そうですか。それは日本字の新聞も報じていましたね」
 そういって一人が壁に掛けたサンパウロで発行されている日刊の邦字新聞を振り返った。
「ゲバラは、この辺を基地にするようですよ。時折、彼の手下らしい男たちが姿を見せてここの青年たちと接触しているようですが、私たちは干渉しないことにしています。ゲバラなら、キューバでのように権力にこだわらず、純粋に底辺階級のことを考えての活動をしてくれると信じていますからね。いまでもこの国では何回となく革命という旗を掲げた運動があるんですが、何れも権力の亡者たちで、旗色が悪いとみると臆面もなく退去する輩で成功したためしがないですね」
 それは南アメリカの革命運動に共通していた。私はこの同胞たちはインジオをはじめラテンアメリカの農民の地位の向上を願っている。こういう雰囲気ならサンファンの日本人たちは挙ってゲバラの活動を応援するだろうと心強くなった。
 私がこのような気持ちになったことを東京の伊原さんはどう思うだろうか。危険人物と思うかもしれない。それにしても自分は伊原さん勧められたとき、ただ、単に興味本位でここに来ることを決心したのだろうか。
 かつて日本の農民の多くは小作人として地主の下で搾取され、子供の教育も侭ならなかった。それが敗戦とともに農地改革が行われて小作農家にはじめて温かい陽光が注がれたのだった。それも僅か三十年前のことだ。
 アンデスのインジオたちも貧困からの解放者の出現を待ち望んでいるに違いない。白人たちと同じ才能をもちながら、その花を咲かすこともできず僅か五十年の生涯を閉じていくインジオたちの宿命の非合理、無常を考えると、キューバに次いで南米大陸各国の農民の地位向上に生命をかけて戦いつづけるゲバラは、彼らにとって神そのものに違いない。
 しかし、インジオたちはゲバラの名も存在も知らない。私はエスタニスラウの任務は、サンファン周辺集落のインジオたちに、ゲバラの存在と運動の目的を教え導くことから始めるべきだと考えた。