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パナマを越えて=本間剛夫=95

 私は組合事務所の職員たちに勧められて三日を費やして移住地の農家を訪ね廻った。どの家族も過ぎた十年間の苦労を、今では懐かしい思い出として話してくれるのが嬉しかった。
 移住者たちはめいめい五〇ヘクタールのジャングルの大半を開拓して見事な農地を経営していた。産物の大部分は隣国ブラジルの市場に出せるようになったという。
 小学校も完備し、遠いところの子供たちは馬で通ったり、中央に出るトラックに便乗させてもらっていた。近隣のインジオの子供たちも移住者の建てた木造のりっぱな校舎で日本人の子供たちと一緒に学んだり、サッカーを楽しんでいる光景を眺めると、ブラジルでもパラグアイでも地方の村と全く軌を一つにして、その国の地方文化に貢献している日本人たちを誇らしく感じられた。
 移住者の住居も整備され、それを挟むようにニ、三棟が建っているのはインジオ農夫たちの住居であるのもブラジル農村と同じだった。農夫たちは日本人農家に傭われて初めて貨幣経済の合理性を学ぶことができ、子供は無償で小学校に通わせてもらい、サンタクルースから来ている女教師のもとでスペイン語を覚え、中には日本人青年によるボランティア教師の日本語を勉強して日本語を話す子も珍しくないという。かつての地獄は今や理想郷に変貌していた。
 組合事務所に帰ると、農機具の旅商が待っていた。彼は組合長の家に泊まり、二、三日農機具の修理に廻ってから帰るという。私はサンファンの現状とこの国の農民の生活向上を熱心に話してくれた組合事務員の一人が「何もお世話できないが、ぜひ泊まってくれ」とのことで厄介になることにした。

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 サンタクルースに帰ると、受付け係りはエスタニスラウはラパスに行ったという。ラパス行きの飛行機は明後日とのことで、翌日一日は近くの沖縄居住地を訪ねることにした。そこまでタクシーを使えば一日で往復できるという。このタクシーは南米の他の国と同様に乗合の制度があった。同行者があれば四人まで乗れて料金は割勘より少し高めにつくが便利なのだ。
 この移住地が第一から第三まであって、米軍が沖縄に駐留することになったとき、その土地の住民をボリビアに移住させて建てたのだ。米軍部は予め道路や橋梁を整備し小学校や病院を建てたので、サンファンのような苦労を嘗めずに円滑に進捗した経過を私は知っていた。
 タクシーは町役場のボリビア人書記とドイツ人の旅商と私の三人を乗せて出発した。道路も申しぶんないりっぱもので、私は米国と日本の国力と良心の差を見せつけられたばかりでなく、人種差別の強いアメリカは人命に関して、やはり宗教の盛んな国であり、祈り頼むだけの日本の宗教とは違うのだなと感心した。
 坂の上下が多かったが、三時間足らずで移住地の中心と見られる家並みがつづくところに着いた。途中でサンファンへの道と同じように完全武装の兵隊三人に呼び止められ、「何の目的できたのか」と訊問されたが、私だけが、身分証明書の提示を求められただけで事なく済んだ。小さな雑貨店を過ぎたところに公会堂風の建物があったので私は二人と別れてタクシーを降りた。
 中には人影がないので道路わきに立っていると雑貨店に行くという馬車の日本人老人と顔が合って互いに目礼した。老人は「どこへ行きなさる?」と声をかけてくれた。