映画『闇の一日』(奥原マリオ純監督、12年)上映会が6日午後、サンパウロ市のレジスタンス(抵抗運動)記念館で開催され約200人が参加した。政治経済警察(DOPS)が40年余り使っていた建物を08年に記念館に改修し、表現の自由や人権侵害を啓発する同館主催イベント「土曜レジスタンス」の一貫。ブラジル近代史の一部として、ヴァルガス独裁政権時代の日本移民迫害の歴史を見直す動きに拍車がかかりそうだ。
終戦直後の勝ち負け抗争における脇山甚作殺害事件の実行者の一人、日高徳一さんを中心に当時の社会背景を描いた同作品の上映に続いて討論会が行われた。最前列にいた京野吉男さん(脇山氏の孫)は、日高さんを前に呼び「もう怨嗟はない」と固い握手を交わして聴衆から感動の拍手が送られた。
深沢正雪本紙編集長は、43年7月にサントス市内に居住する6500人の日本移民がDOPS命令で「24時間以内に強制退去」させられ財産を失った悲劇を振り返り、「同様に戦中に接収された平野植民地の日本学校の土地は今も返されていない。日系社会は今も当時の影響下にある」との歴史を語った。
ウバツーバ市長の諸見里マウリシオさんは「京野さんの立派な態度に心底感動した」と前置きし、アンシェッタ元島民の「島の息子たち会」に平和モニュメント建設案を相談したところ、「一度でも島に住んだ者はみな仲間」と承認されたと進行具合を報告した。
さらに「島には1926年にブルガリア移民が集団で島に送られ、毒性マンジョッカを知らずに食べて151人が死んだ悲劇の歴史、1952年の刑務所暴動制圧で110人以上が殺された事件があり、それらを含め戦後70周年と日伯120周年の機会になんとか建設したい」との気持ちを吐露した。
キシ・アケニ・サンドラ連邦地方検察官は「祖父はバストスで負け組として命を狙われた一人。軍政が始まる20年前に、枢軸国移民の中でも特に日本移民に対してAI―5(軍政時代に反体制活動家制圧を目的に作られた法律)的抑圧が実施され、事実上の〃文化的虐殺〃が起きたと痛感した。45年末に独裁政権は終わったが、その後も民主主義ではなかった。日本移民史の中でもその部分を掘り起こす作業は貴重」とのべた。
質疑応答でロナルド・シモンスさんも「日高さんはすでに罰を終えた一介の市民に過ぎない。この映画で描かれた日本移民の歴史は〃氷山の一角〃、国家が少数民族を抑圧した歴史自体を見直す良い機会を与えてくれた」と賛辞を送った。
最後に奥原監督は「先ほどの握手で象徴されるように勝ち負けの対立はもう終わった。これからはヴァルガス独裁政権、ドゥトラ政権における日本移民に対する差別問題に焦点を移し、少数民族迫害の歴史を明らかにしたい。アンシェッタ島への平和モニュメント建設、法務省アネスチア委員会への歴史見直し要請や謝罪要求を二つの軸に活動していきたい」と熱く語った。
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『闇の一日』上映会は反軍政活動家としてDOPSで拷問された体験を綴った著作で有名なマウリッセ・ポリシさんが司会。都市ゲリラの教祖マリゲーラの妻クラーラ・シャルフィさん、マリゲーラと共にALNを組織した活動家ラファエル・マルチネリさん、ジョルナル・ダ・クルツーラ編集長の平リカルドさんらも客席で聞いていた。アドリアノ・ジョゴ元サンパウロ州議(州真相究明委員長)も「グレミオ・クラブの本拠地は戦争前までナチスの拠点だったし、ドイツ潜水艦はブラジル船舶を沈没させた。イタリア移民にも多くのファシスト党員がいた。日本移民にはそんな敵性活動はなかったのに大変な迫害を受けた。この歴史は見直されるべき」と熱く語った。
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上映後の討論会で、参加者の樋口エリオさんも「ブラジル政府は42年にドイツ、イタリアに宣戦布告したが、日本には1945年だった。にも関わらず日本移民は最初から敵国民扱いされていた歴史は見直すべき。殺人事件は良くないが、帰国詐欺や円売りなどのとんでもない犯罪もたくさんあった。日本移民の〃恥の文化〃を超えて明らかにしないといけない」とのべた。映画『闇の一日』はネット上(www.youtube.com/watch?t=63&v=kbaehRBjQ98)で無料公開されている。
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