三重県鈴鹿市に住む遠藤健二さん(51、二世)はリーマンショック後に解雇されて苦しみ、日ポに加え英西4語の語学力を武器に「ユニオンみえ」の専従職員になり、外国人労働者の権利を守るために奮闘しているという記事が毎日新聞5日付夕刊に掲載された。外国人労働者にとって《遠藤さんがいるユニオンみえは、現代の駆け込み寺のような存在だ》とも▼先に同県内で働いていた父に誘われ、91年に訪日して自動車部品工場に務め、翌年に日本人女性と結婚し長女を授かったが、派遣社員だったために09年2月に解雇。《その日を境に日本人上司が口をきいてくれなくなった》経験をし、《当時の悔しさと怒りは今も忘れない》▼10年から同ユニオンで働く。フィリピン人労働者から「会社所有のアパートに入居を強制された」との相談を受け、同様の外国人労働者170人を同労組に加盟させて団体交渉して撤回させた。同労組書記長は《なくてはならない存在》と称賛する▼実は「先に県内で働いていた父」はセッチ・バーラス日伯文化協会の遠藤寅重会長だ。福島県出身で57年に呼び寄せで渡伯。マリンガ―のフロレスタ植民地のカフェ農園で働くが酷い霜にやられた。「温暖な土地に行きたい」と海岸地帯のセッチ・バーラスへ63年に移った。紅茶全盛期で山本周作氏らに世話になり茶園を経営したが、為替変動で紅茶産業が衰退。デカセギへ行き、息子を誘った▼寅重さんは先にに帰伯して同地文協にテコ入れし、移民百周年で会館を新築、先ごろ日本庭園も改修して鳥居を建設した。父はブラジルで踏ん張り、当地生まれの息子は日本で頑張る。実に移民家族らしい。(深)