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ニッケイ歌壇 (490)=上妻博彦 選

      グワルーリョス     長井エミ子

父と子の世代隔てた葛藤の部屋にひそりと一輪のバラ
もう先の見えているネと言う君の髭剃らぬ顔いと愛(かな)しけれ
もう三日君の不機嫌続きたるへのへのもへので踊りだそうか
秋深し国道駆ける若者のサイクリングの背中膨らみ
乾涸びた人住む国よ撒水車地球の上を駆けてくれぬか

  「評」これまでずっと読ませてもらっているが、これが未発表作品だったとすると、筆者はなにか責任を取らねばならない気がしている。読者の中に、この作品に対する評がある方、作者を含め是非一筆お叱りを願いたい。

      サンパウロ       武地 志津

白鵬に挑む安美錦激闘の末の逆転負けが惜しまる
豪栄道の土俵際での首投げに横綱白鵬よもやの失態
夏場所の後半戦に両横綱揃って不覚を取るハプニング
渾身の力で取り組む日馬富士遂に白鵬を寄り倒したり
照ノ富士初優勝のその笑顔初々しかり賜杯を手に

  「評」作品評に嵌り込むと、自己批判が欠落する事はずっと前から自覚していた。それでいて、選を替ってくれる人もなかなか居てくれない。この大相撲の作者の様な人ばかりだと、こちらも楽しめるのだが。

     サンパウロ        坂上美代栄

お別れの挨拶終えてまた話し同船者会はいつまでも続く
語り口昔のままに花嫁は孫のいる歳、面影かすか
航海時赤道祭の乙姫は達者で御在し、竜王は鬼籍
話し好き、聞き役もいて五十年の苦労は言わず今を喜ぶ
取り仕切る幹事は子供移民にし日伯両語に不自由もなし

  「評」一連読み終えて瞼をとじて見ると、起承転結まったくそのままを生きついで来た人等が、此々には有る。移民であるが故の『同船者会』その集いの語り口は『花嫁』。『赤道祭』の乙姫、そして竜王は鬼籍、逝きし五十年は言わず、今を喜び合う。この国は良い国だと、最もだ。

ブラジルに向う際、赤道に近くなると船の中で『赤道祭』が開かれた。他にも運動会など、長い船旅の中で色々な催しが開催されていた。(写真:「在伯同胞活動実況写真集(1)」 昭和13年 竹下写真館より)

ブラジルに向う際、赤道に近くなると船の中で『赤道祭』が開かれた。他にも運動会など、長い船旅の中で色々な催しが開催されていた。(写真:「在伯同胞活動実況写真集(1)」 昭和13年 竹下写真館より)

      サンパウロ       相部 聖花

一日に十回笑えの教えあり老い二人住み笑い少なし
一日に千字書けとの勧めあり寫経に励む気を引き締めて
少女の日君が代蘭と教わりし白きユッカは高きに咲ける
空敝うイッペの花の盛観を大木なれば遠くより見上ぐ
秋の雨色付き始めし万兩のつぶらなる実を光らせ通る

  「評」なにげなく据える視線に幽けき詩情がある。あの多感な世代を只管にいくさに勝つまでは『欲しがりません』と生き抜いた乙女達を回想するのである。温めつづけた心情が一、五首に籠りつづけていたのではないだろうか。

     バウルー        小坂 正光

唐突に四月始めの夕食後吾が右の耳難聴となる
専門医の耳内の掃除は大量の耳滓(かす)出でて難聴消ゆる
束の間の僅か十日余の難聴も治癒し医術の有難さを知る
秋空に動くとも無き霞雲高度圏内は風吹かぬらし
夜明け前未だ闇なれど音も無き晩秋の雨さらさらと降る

  「評」専門医に見てもらったら、難聴も消えて四、五首のさらっとした作品も出来た。専門医でないと出来ない術、実に有難い。そして無病息災の作者ならではの作品の面白さ。

     アルトパラナ      白髭 ちよ

寒さ来てレース編より毛糸が良しとチョッキをあみ出し指も温まる
二年振りの編物に戸惑い娘を呼びて教わりつつあむも年のせいかな
竜巻の被害を受けて家も無くサンタカタリーナの人等は如何にと
当地より寒さ厳しきサンタカタリーナの被災者想いつ今日も編物
暖かき部屋にこもりて毛糸あむ此の幸福を分かち上げたし

  「評」ある人が、「自分はあまり歌は出来ない」が、歌人が好きだからずっと付き合っていると言う人がある。評を聞いても自己批評それとなくきかせてくれる人である。歌詠みの集まりはこの様な人ばかりであってほしい。ちなみに白髭さんは二世。永年の歌詠みである。

      ボツカツ       長田 郁子

そっと来て肩もむ孫の温き手でほぐされてゆくわだかまりまで
三月の十五、十八揃いもて齢かさむ日娘や孫集う
雨ごとに伸びるドクダミ摘み採りて乾すは忙がし庭先仕事
ビオレッタ茎くるくると巻きおりて花咲かせ来し二十と五年
ニガウリの梅干し漬けは珍味なり月日経つほど味さわやかに

  「評」まことに純粋な詠みぶり、この様な作品を楽しむ人が増えることを、いつも願っている。