21世紀のブラジルにも、奴隷状態で働かされている人がいる事や、そのような人達を解放するために命がけで戦っている女性がいる事をご存知だろうか。
労務省の監査官としてその道10年のマリナウヴァ・ダンタス氏は、用心棒や射撃手をものともせず、報酬さえもらえず、強制的に働かされている男性や女性、子供の解放に努めてきた。
自分自身が自由を愛するが故に他の人々を自由にする仕事に就いたというダンタス氏は、5万人もの人々を奴隷状態から解放してきた。「侮辱され、卑しめられ、傷つけられるといった、精神的、肉体的な暴力を受けるために生まれてきた人なんていないはずよ」「自由とは、何にも拘束されずに安心して歩きまわれる事」との言葉に迷いはない。
最初はナタールの町で働き、1995年に連邦政府が組織した〃グルーポ・モーヴェル・デ・フィスカリザソン(移動監査グループ)〃のリーダーとしても10年間、これまで誰も撮影できなかった奴隷労働の現場を写真やビデオに収めてきたダンタス氏。個人的な働きで2354人、移動監査グループとしても5万人を解放してきた働きは、インドで児童労働と戦い、2014年にノーベル平和賞を受賞したカイラシュ・サティーアーティー氏らからも注目されている。
シリアでの取材中に捕まり、拷問なども経験したジャーナリストで作家のクレステル・カヴァウカンチ氏は、「もしも彼女がパキスタンやアフガニスタンで同じ働きをしたら、ノーベル平和賞間違いなしさ」という。
本来なら遊んで暮らすのが当然の年齢の子供達が、「まるで子供だけで作った部隊みたいにサトウキビ畑から出てくる」というのは、奴隷状態から開放された子供達の様子を伝える一節だ。
パライバ州の田舎で生まれたダンタス氏は幼い頃、靴を作るためにゴムのりを塗らされている子供や、土鍋を作るのを手伝わされている子供を見てきたが、小さい内にリオ・グランデ・ド・ノルテ州の裕福な叔父に預けられ、極度の貧しさと豊かさという「二つの世界を生きてきた」。
労務省職員となり、ナタールで働き始めてからは、50年前に見た貧しい田舎の光景が毎日の仕事の場面となった。児童労働者解放の働きは、ブラジル全土をまたにかけて働く移動監査グループの長としての奴隷労働者開放に繋がっていく。
ダンタス氏撮影のビデオには、仲間の殺害を頼まれた男の談話や、農園などで死んだ労働者の死体や頭蓋骨などを撮影した場面、マンジョッカの粉をカフェで流し込んで朝食とする労働者の言葉、泥だらけのたまり水しかなく、きれいな水が飲みたいと言ったために指を傷つけられた労働者がそれを思い出して泣く様子、7歳の時からサトウキビ畑で働き、1日1トンのサトウキビを切り出す14歳少年との会話なども含まれている。
労働者の中には、当然の権利さえ知らず、豚と同居する生活を続けてきた人や、労働者の権利を雇い主との合意が成立して手に出来たものとしか理解できない人もいた。
2001年に摘発したパラー州南部の農園が9年後に500万レアルの罰金を言い渡された例など、その働きの実は数え切れないが、ダンタス氏にとっては、高等労働裁判所での大型判決より、49人の労働者達が正当な報酬を受け取り、より良い生活を築いていけるよう開放される姿の方がより大きな喜びだ。
開放された労働者が心から捧げる感謝に対し、マリナウヴァ氏は「私の方こそ、奴隷労働という極限の状況の中で勝利した人々に会えて感謝しているわ。多くの人が幸福になるのを見るのが嬉しいし、奴隷労働の被害者達が尊厳を認められ、報酬を手にその場を離れ、正義がなったと思った時の感激は何ものにも替えられない」という。
同グループ創設以来、20年間の働きを見てきたカヴァウカンチ氏は、23日にマリナウヴァ氏の伝記を刊行する。(21日付G1サイトより)
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