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パナマを越えて=本間剛夫=105

「読むわよ。わたしラパスの小学校出たんですもの」女は白い歯を見せて微笑んだ。
 それから小一時間も話が弾んだ。ゲリラと軍の活動状況が聞き出せると考えたゲバラ一行はパンを頬ばり、カフェを呑みながらサンタクルース周辺の治安について突っ込んだ質問をつづけた。そのあとで女がいった。
「……奇妙なのは、このまわりがこんなに物騒なのに、政府は何故ゲバラはボリビアに入っていないといってるんでしょうね」
「そんなこと言ってるのか」
 女はカーテンの向こうから、きのう町に出たので新聞を買って来たが、それにも政府の声明として大きくゲバラ不在とあったといって一枚の新聞をひろげた。なるほど一面のトップに、キューバ革命のゲバラが、わが国に侵入したとの風評があるが、事実無根と大活字であるのだ。
 軍隊とレーンジャー部隊数百名をジャングルに入れながら、なぜ政府はこのような虚偽の報道をつづけるのか、その意図が解しかねた。
 腹ごしらえができた一行はサンタクルースを目指して出発した。

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 さきに民族解放軍と称する大学生グループが、サンタクルース周辺に配布した檄文を政府側も入手しているに違いなかった。しかしこの宣言は国内のいくつかの左翼グループを除いては広くは流布されなかった。却ってそれは国境を越えて、とくにペルーとヴェネズエラの群衆に広まっていたのだ。ペルーの左翼グループがアンデスの峻険を越えてボリビア領に侵入していることでも分った。
 ゲバラはパラグアイからボリビアに帰っているはずのエスタニスラウと連絡をとりたかったが、彼が今、どこにいるのか、連絡がないので歯がゆかった。その頃、エスタニスラウは三〇名の精鋭部隊を伴ってアルゼンチン国境の村と北方のサンタクルースを結ぶ鉄道線路のある方向に来ていてゲバラとは六〇キロの距離に過ぎなかったのだ。
 この方面ではレーンジャーと陸軍との合成部隊とゲリラとのいくつこの戦闘があって、ゲリラ隊は常に敵の包囲網を突破するという苦しい逃亡の連続だった。それに比してゲバラの行動は安易に過ぎていたと言わざるを得ない。深いジャングルの中で僅か数名ずつ耕作しながらのゲリラ活動は大量の兵器と人員を持つ敵と相対するのは不利なのだった。しかし、ゲバラは楽観主義だった。
 彼はキューバ以来の同志十七名のうち、最も機智に富み信頼し得るアク―ニャ大尉のいる畑まで、もう一日の行程まで来ていた。アクーニャはサンタクルースからコチャバンバに通じる鉄路を封鎖し、電話線を切断して、そこに現れたバス一台とジープ四台をぶんどった。ところが意外にもそのバスとジープには同志であるラパスの大学生たちに混じってフランス人ドブレが乗っていた。学生たちは熱望していた冒険に参加できることを喜んだ。彼らは不十分ながら小糸紡績制作の戦闘用の装備で迷彩服を着ていた。
 ゲバラは近くの集落でひと休みすることにし、一部の者は村の役員たちを逮捕し、一部の者は食料を調達したり、農民を集めて革命に参加するように説得して六名の青年が加わった。
 その間、政府にとってゲバラの存在地点は分らなかったが、ゲリラ隊の首都ラパス来襲を恐れていて、ゲバラに最も協力的なグループと見做される鉱山労働組合攻撃を軍に命じて死者四十、負傷者一〇〇名という事件を起している。またアメリカが派遣した百六十名のレーンジャー部隊のほかにベトナムから直接ボリビアに送り込まれた十一名の専門家を迎えていた。