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パナマを越えて=本間剛夫=106

 彼らはボリビアで選ばれた青年六百五十人のレインジャーの緊急訓練を始めていた。この青年たちは十九週間訓練され、小銃や迫撃砲の撃ち方、装備のカモフラージュ、目標の位置の確認法、夜間移動者の足音、その他の聞きわけ、敵の待ち伏せ、自身の待ち伏せなどの要領などを教わる。
 ゲバラはこの訓練所を襲うことにした。この地点は澄み切った水がリオ・グランデ川の砂の混じった激流と合流し、両岸は深いジャングルだった。三十人の隊員たちが装備を脱ぎ頭の上に乗せて渡り始めたとき、突然レインジャー部隊の射撃に遭って半数が流れを赤く染めて流された。残りの者たちは急いで下流に流れて難を避け、この攻撃は失敗に終わった。敵は両岸の藪の中に潜んでいたのだった。
 銃声を聞いた農場の同士たちがカヌーを漕いて来たので、ゲバラたち十余名は辛うじて生き伸びられた。
 それから数日後、それは一九六七年十月八日、一人の土民が森の中で人声がしていると軍に知らせた。直ちに農場はレインジャー隊に囲まれた。午後一時半頃、農場の同士の一人が一、二発発砲して素早く身を隠した。彼につづいてゲバラも発砲したが、その時、彼は両足に敵弾を受けた。同士たちはゲバラを背負うと流れに跳び込んで下流に逃れたが、再び一斉射撃が始まってゲバラのベレー帽が吹っ飛んで流れた。一同は川から這い上がりジャングルに潜んだ。
 ゲバラはもう歩けなかった。この時ゲバラは絶望的だったが、まだ抵抗した。木に寄りかかって発砲した。敵との距離はせいぜい七~八メートルほどだった。しかし、それも長くは続かなかった。敵の弾が彼の持っている銃の銃床と右腕に命中して銃は地面に倒れた。と、同時に銃声が止み、ジャングルは下の静寂に返った。

       5

 ジャングルの夕べは早く、陽はとっぷりと暮れていた。同士たちは敵の命ずるままに数人がゲバラを担いで断崖の径をおりた。眼下に細いせせらぎが見える所に深い洞窟の穴があいていた。そこが敵の一つの基地だった。人間が立って歩けるほどの天井で、どこまで続いているのか、おそらくその奥はもぐらの巣のように無数の枝状の穴になっているのだろう。
「そこへおろせ! 下ろしたら、早くここを出て行け!」
 隊長らしい男が叫んだ。
 同士たちは首領との最後の別れだった。彼らはカンテラに照らされた蒼白いゲバラの顔を見詰めて祈るように幾度も振り返りながら肩をおとして洞窟を出た。
 翌朝、敵は、まだ微かに息のあるゲバラを担架に乗せて断崖を登り、近くの小学校と書かれた標札のある小屋に運び入れた。そこへ上級将校と見られる男と五名の兵が現れ、無言のままゲバラの頭と胸に拳銃二発を打ち込んだ。ゲバラが何にか叫んだようだったが、間もなく絶命した。
 これが彼の最期だった。
 敵たちはゲバラの屍体を囲んで、めいめい十字を切った。
 三十七歳の稀有の革命の使徒は学生時代に南米諸国を旅行して見聞した貧しい土民たちの実態が、彼の純粋な精神を刺激して革命戦士として育てあげた。
 数名の外国資本家と数人の大地主たちによって政治が左右される国々、これを打ち倒し、貧しい民衆のための政治を希ったゲバラの精神は単に「幻を追う男」として語られてよいのだろうか。